日本三大夜桜の舞台!高田城の三重櫓!
現代によみがえった高田城の三重櫓!
小林古径記念美術館、上越市立博物館を巡ったあと、
その話はこちら:高校生がキュレーター⁈「かわいい美術」@小林古径美術館
ここ高田城址公園のシンボルとも言える三重櫓に行ってみました。
三重櫓にも小林古径記念美術館で購入した5館共通チケットで入場できます。
今は高田城址公園になっているこの場所で、
春は観桜会、夏は上越蓮祭りが行われる舞台となっています。
高田城址公園の夜桜は日本三大夜桜の一つに数えられるのだとか。
ちなみに日本三大夜桜は上野恩賜公園と弘前公園なのだとか。
上野の桜も弘前の桜も見たことがあるので、やはりぜひ高田の桜も見てみたいものです。
弘前の桜はこちら:日本全県制覇2周目 17県目は青森の旅(2017年4月)
観桜会では三重櫓もライトアップされ、今年の観桜会のパンフレットでもその姿が映っています。
ますます観桜会、行くしかありません。
高田城は伊達政宗が普請総代で建てられた!
高田城は慶長19年(1614)、徳川家康の6男・松平忠輝(ただてる)の居城として建てられたお城で、
石垣や天守はなく、堀と土塁で作られた広大な城です。
高田城の築城は、仙台藩主の伊達政宗が普請総代に任命されて、13の大名によって幕府の命令によって行われました。
近くを流れる関川、青田川、儀明川(ぎみょうがわ)の流れを変え、天然の地形を利用して作られたそうです。
この三重櫓は平成5年(1993)に復元されたもの。
こちらの極楽橋は平成14年(2002)に復元されました。
城址を取り囲む立派な堀には錦鯉が優雅に泳いでいました。
高田城築城以前の経緯
慶長3年(1598)、春日城主の上杉景勝が会津に転封となり、
その後、現在の福井市である越前北ノ庄城主・堀秀治が入封します。
堀氏は春日城を廃して福島城を築城しますが、慶長15年(1610)にお家取り潰しとなり、
徳川家康の6男・松平忠輝が信濃国・川中島から入封します。
福島城は交通の要所だった現在の上越市に作られました。
徳川と豊臣の抗争が激化する中、豊臣家の重臣である加賀前田家を牽制するためだったと言われているそうです。
なんと、築城期間は4ヶ月!
高田城の普請はなんと4ヶ月。
慶長19年(1614)の3月に着手し、7月には一応の完成を見たそうです。
天守や石垣のない城だったとしても、外堀を入れると60ヘクタールを超える広大な城郭。
それが4ヶ月で出来上がったのは、大坂の陣(1614年冬、1615年夏)に備えて、
加賀藩など豊臣側の重臣を牽制し、江戸の背後を固めるためだったと言われています。
高田城三重櫓を見学!
三重櫓には小林古径記念美術館の近くからお堀を渡る橋で渡れます。
この三重櫓が再建されたのは平成5年(1993)ということで、
すでに30年経過していることになりますが、中はとっても綺麗です。
1階、2階部分が展示室になっていて、3階が展望台になっています。
この三重櫓、築城当初は二重の櫓だったそうですが、寛文地震の後に三重になったそうです。
こちらが1階部分のパネル展示と、
動画での案内もありました。
階段を登ると
2階も展示室になっています。
高田城は城主が色々変わっているのでなかなか覚えることができませんでした。
三階から見る景色!
こちらが3階部分の展望台です。
天守閣のように高くなくても、周りは平坦なのでとても景色が
山が見えるので妙高方面でしょうか。
こちらは歩いてきた小林古径記念美術館方面。
あの橋を渡って来ました。
土手の右側、お城の敷地にある白い建物は上越教育大学の附属中学校になっています。
こちらがその中学校。
校舎にプラネタリウムもあるんですね。
三重櫓をぐるっと回る形で歩いて正面に出ると極楽橋に出ます。
極楽橋の下にはたくさんの錦鯉が泳いでいました。
高田城の御城印はこちら!
高田城の御城印はこちらです。
高田城は8家の大名が入れ替わったので各家の家紋を時代順に誂えたものだそうです。
ちゃんと説明書きも同封されていました。
ただこの御城印、この三重櫓ではなく、
ここへ来る前に行った上越市立歴史博物館でいただけるので要注意です。
まとめ
高田城址公園内の小林古径記念美術館、そして上越市立歴史博物館に行った後、
高田城の三重櫓に行ってみました。
小林古径記念美術館前に橋があるので、渡って行くことができます。
1階、2階は展示室になっていて高田城の歴史がまとめられています。
動画もあるので見ることをオススメします。
御城印はこの櫓では販売していないので要注意、上越市立歴史博物館でもらってください。