新潟良いとこ何度もおいで♫ ランドマーク編1「萬代橋(ばんだいばし)」
新潟市といえば萬代橋!
多くの方に新潟のことを知って親しんでいただき、実際に来て楽しんでいただきたい。
そんな思いから、新潟市のランドマークもご紹介したいと思います。
初回はなんと言っても新潟市といえば「萬代橋」!
街の真ん中を流れる信濃川にかかる国の重要文化財にもなっている素敵な橋です。
現在の萬代橋は3代目! どっしりと、でも美しく、そして頼れる萬代橋。
現在かかっている萬代橋は昭和4年(1929)8月23日生まれの3代目です。
全長306.9メートル、橋の幅は22メートル、
鉄筋コンクリートに御影石の化粧張りをした6連アーチの美しい橋です。
石造りの重厚な安定感と、美しいアーチの優美さを兼ね備え、
しかも1日約3万台の自動車交通量を支える、まさに新潟市の大黒柱とも言える名橋です。
昭和39年(1964)の新潟地震にも耐え、落下した昭和大橋、損傷が激しく通行不可となった八千代橋に代わって、
唯一渡れる橋として市民の避難や救助、災害復旧に大きな役割を果たした頼れる橋でもあります。
平成16年(2004)、国の重要文化財に指定されました。
建造物の重要文化財に指定される基準は、下のいずれかに該当し、
「各時代または類型の典型となるもの」とされているそうです。
- 意匠的に優秀
- 技術的に優秀
- 歴史的価値が高い
- 学術的価値が高い
- 流派的、または地方的特色において顕著
萬代橋はこのうち、1の「意匠的に優秀」と2の「技術的に優秀」なものとしての価値を国に認められました。
橋が国の重要文化財に指定されたのは東京の「日本橋」が最初だそうです。
萬代橋はそれに次いで2番目に指定されました。
初代萬代橋は何と個人所有だった!
初代萬代橋以前は信濃川下流域には橋が1つもなく、
新潟島と沼垂町の行き来は有料の渡し船だけだったそうです。
初代萬代橋が完成したのは明治19年11月のこと。
当初は橋は個人所有の有料橋だったそうです。
明治31年には新潟に鉄道が開通し、人や物の往来が増加したため、
明治33年に県が橋を買い取り無料で往来できるようになりました。
当時の橋の長さは770メートル!現在の3代目の3倍もありました。
大幅に川幅が狭くなったのは大正11年に大河津分水路が通水したからです。
大河津分水路についてはこちらもぜひご覧ください:治水・インフラファン必見! 「にとこみえーる館」に行ってきました
しかし初代萬代橋はかけられてから20数年経った明治41年3月、火災によって半分が焼け落ちてしまいます。
火災で半分が焼け落ちた2代目萬代橋、1年9ヶ月で復旧する
橋の半分が焼け落ちた明治41年。
橋はすでに重要な交通網として利用されていて、一刻も早い復旧が必要でした。
県は直ちに焼け残った橋の基礎杭を利用して橋を復旧、明治42年12月に2代目萬代橋が完成します。
そして本格橋である3代目が完成する昭和4年まで利用されました。
この2代目と初代で使用されていた橋の杭が万代クロッシングという地下通路で展示されています。
万代クロッシングは万代シティのラブラ万代と、その向かいのテレコムビルをつなぐ地下通路です。
なんと!萬代橋に兄弟が!
なんと、萬代橋に兄弟がいることがわかりました。
場所は福岡市。
多々良川にたたずむ名島橋です。
昭和8年(1933)に完成した、九州の北部地域と福岡の都心部を結ぶ国道3号線にかかる橋で、福岡の東玄関を飾るシンボルだそうです。
萬代橋と建設時期が近いこと、デザインがよく似ていることなどから平成6年(1994)に橋の兄弟縁組が行われました。
おおらかな7連アーチ、御影石で化粧をした名島橋。
なるほど萬代橋と同じ雰囲気をもった素敵な橋ですね!
ぜひ行って見てみたい!
まとめ
国の重要文化財にも指定されている3代目萬代橋。
重厚ながら美しい6連アーチの優雅な橋は、遠くから眺めても、その上を歩いても
ゆったりとした幸せな気分にさせてくれるまさに新潟市のシンボルです。
手すりの高さが低いのに安心して渡れるのは手すりの幅の広さによる安心感からでしょうか。
遠くから眺める萬代橋も最高です。
特に路線バスが橋の上を通るのを見るのが大好きです。
バスの窓から向こう側の空が透けてみえとても綺麗なんです。
信濃川の両岸がやすらぎ堤という整備された歩道やサイクリングロードになっているので、
新潟にいらしたら是非萬代橋の周辺を歩いてみてください。
記念写真のベストスポットはホテルオークラ前の川沿い。
萬代橋、そしてその後ろには北前船をモチーフにした美しいガラスの建物、メディアシップ(新潟日報本社ビル)を背景にした写真を撮ることができます。
ホテルオークラの2階、ラ・しなのというカフェからの眺めも素敵です。
歩き疲れたらぜひ休憩してみてくださいね!