世界最大のTARO展!人間・岡本太郎の言葉がすごい!その2
グラスの底に顔があったっていいじゃないか!
「本職は何か?
人間―全存在として
猛烈に生きる人間だ。」
「本職?人間だ。」と、フライヤーのキャッチにもなっているこの言葉が展覧会を通してテーマとなっています。
TAROワールド全開、写真撮影もOKなこの展覧会、前回に引き続きご紹介します。
前回の話はこちら:世界最大のTARO展!人間・岡本太郎の言葉がすごい!その1
岡本太郎展はこちら:https://taro2022.jp
傷ましき腕(1936/1949再制作)
太郎さんは1929年、パリに留学します。
画家としての方向性に悩んでいたところ、1932年にピカソの抽象的静物画「水差しと果物鉢」に出会い、抽象芸術の道に自身の進む道を見つけました。
1933年、アプルトラクシオン・クレアシオン(抽象・創造協会)に参加。
1934年からは暗い空間に布と金属の棒が浮遊する抽象的な「空間」シリーズを描き始めました。
しかし次第に抽象的表現に行き詰まっていったようです。
太郎さんの言葉
抽象画ではなく手に触れるものを描きたい
太郎さんは当時よく“”パルパブル(palpable)=手につかめる、極めて明瞭“という言葉を使っていたそうです。
そして太郎さんにとって、赤は燃える命の色でした。
パリ時代の作品は全て戦争で消失したので、これらの作品はその後太郎さんによって再制作されたものです。
露店(1937/1949再制作)
太郎さんはシュルレアリスムに惹かれつつ、そこにとどまりませんでした。
2つの異なる要素を1つの画面に両立させたくて描かれたのがこの作品です。
色とりどりのリボンや腕輪、風車、ラッパなどが並ぶ露店。
明るい店先とは対照的に、店の奥は薄暗く、そこに立つ売り子は「傷ましき腕」と同じような真紅のリボンを頭に結び、うつむいたまま笛を吹いています。
「傷ましき腕」と共に1949年に再制作された本作は、1983年に岡本本人よりグッゲンハイム美術館NYに寄贈されました。
日本国内での展示は今回が約40年ぶりとなります。
師団長の肖像(1942)
30歳を超えて徴兵された太郎さんは、10歳以上も年の離れた同胞たちに交じり
「自由主義者のレッテルを貼られ最前線での危険な任務を課せられるなかで、一番過酷な状況を求め、自身の運命に挑むようになった」
と回想しています。
この作品は、中国・湖北省の城での初年兵時代 漢口の司令部に呼び出され、命令として描いたものなのだとか。
夜(1947)
35歳で復員して描いた作品。
花田清輝らと共に前衛芸術を研究する「夜の会」を立ち上げた時、この絵がアトリエにかけられていました。
会の名前の由来となった作品です。
髑髏に立ち向かう少女のモチーフは、この作品に先立って描いた、母かの子の遺作「生々流転」の表紙にも描かれています。
燃える人(1955)
第五福竜丸の被曝事件をテーマにした作品。
太郎さんは、ひとつの絵画作品を制作するときに、自身の「内的な衝動」が明確になるまで何度でもデッサンやドローイングを繰り返したそうです。
太郎さんの言葉
「苦労して捻り出されるものではなく
固有の形を持ってひらめき出るのだ」
土器と出会い、写真を始める
1951年、縄文土器と鮮烈な出会いを果たした太郎さんは、同時代の日本を歩く旅を思い立ちます。
多忙な合間を縫って、秋田、岩手、京都、大阪、出雲、四国、長崎を訪れました。
そして各地で伝統と近代に引き裂かれた現代日本の矛盾を鋭く突きつけられます。
その時の太郎さんが自ら撮影した写真を収録し、1957年、「芸術風土記 日本再発見」という写真集を出版しました。
太郎さんの言葉
写真とは偶然を偶然でとらえて必然化することだ
土門拳との対談で語ったそうです。
愛撫(1964)
中央部分に描かれた角のある生き物は、岩手の民俗舞踊である「鹿踊り」 に着想を得たものだそうです。
12)座ることを拒否する椅子(1963)
顔のグラス(1976) 水差し男爵(1977)
ウィスキー購入者に店頭で配られるノベルティグッズとして、酒造メーカーに依頼されてデザインした作品。
太郎さんがコマーシャルのなかで語った「グラスの底に顔があったっていいじゃないか」というセリフは流行語になりました。
太郎さんのデザインの仕事としては最も広く知られた作品。
太郎さんの言葉
生活は遊びだ
テレビCMに出演するのに2つの条件がありました。
1つは商品名は言わない、ということ。
2つめは言いたいことだけを言う、ことだったそうです。
「芸術は爆発だ!」という日立マクセルのCMのセリフも一世を風靡したのを覚えています。
太郎さんの言葉
綺麗と美しいは全く違う。
真逆なものだ。
進歩と調和は逆
ぶつかり合うことが調和だ
太陽の塔(1970)
1970年の大阪万博のテーマ館として作られた 《太陽の塔》 の、1/50 サイズの立体作品です。
万博のテーマ「進歩と調和」を否定していました。
太郎さんの言葉
人間は進歩だけでなく根源的なものに目を向けるべき
1967年に最初に打診が来たときは断ったのだそうです。
その後、建築家丹下健三氏が設計するお祭り広場の世界一大きな屋根構想を聞き、30メートルの大屋根を突き破る70メートルの巨大な像を思いついたのだそうです。
15)明日の神話(1968)
16)午後の日(1967)
複合的なイメージを持つ、太郎さんの自画像のような作品。
これに似た作品は、大きさを変えていくつか制作されていて、多磨霊園に眠る太郎さんの墓碑にもなっているそうです。
17)雷人
人生を芸術に捧げた巨人・太郎さんが、最後に取り組んだとされている作品。
最晩年、84歳の時の作品で未完成で終わっている。
晩年になっても衰えることのなかった太郎さんの創作意欲が感じられます。
太郎さんの言葉
老とは衰えることではない。
年と共にますます開き
開ききったところでドーンと倒れるのだ
心に響く太郎さんの言葉
絵はクイズのように隠された答えを探すものではない。
いいと思った分だけあなたはわかったのだ。
わからなくても心配ない。
めげずにのめり込んでいく。
想像と鑑賞は永遠の追いかけっこ。
わかったようなポーズを取ったり
自分に無縁だと思ってもいけない
まとめ
「史上最大のTARO展がやってくる!展覧会岡本太郎」に行ってきました。
TAROワールド全開の、見応えたっぷりの展覧会です。
ニューヨークのグッゲンハイムからも40年ぶりに里帰りする作品もあり、TAROファンならずとも必見の展示です。
「絵はクイズのように隠された答えを探すものではない。いいと思った分だけあなたはわかったのだ。」
これからも「想像と鑑賞は永遠の追いかけっこ」を続けていきたいと思いました。