エゴン・シーレ!28歳でスペイン風邪にたおれたウィーンの天才!

エゴン・シーレ展

目次

エゴン・シーレ!28歳でスペイン風邪にたおれたウィーンの天才!

エゴン・シーレとは?

エゴン・シーレ展

1月26日から東京都美術館で開催中のエゴン・シーレ展に行ってきました。

正確には「レオポルド美術館 ウィーンが生んだ若き天才 エゴン・シーレ展」です。

エゴン・シーレは1890年生まれ。

世紀末を経て芸術の爛熟期を迎えたウィーンで活躍し、

まさに波瀾万丈な人生を生き、なんと28歳という若さで生涯を閉じました。

今回の展覧会はウィーンのレオポルド美術館の所蔵作品を中心に、

シーレの油彩画、ドローイングなど合わせて50点、

それに加えクリムトをはじめとする同世代の作家たちの作品も合わせ120点の作品を紹介しています。

エゴン・シーレ展はこちら:https://www.egonschiele2023.jp

ひた向きに自我を突き詰めた画家

エゴン・シーレ展

1890年にウィーンで生まれ、1918年に28歳で亡くなるまで、

画家として活躍した期間はわずか10年でした。

そのわずかな期間の間に独自の作風を築き、莫大な数の作品を残しています。

僕は永遠の子供。

熱狂する人々の歩みに従ってきたが、彼らの中にいたいとは思わなかった。

自分自身であれ。自分自身であれ。

シーレ 20歳の時の手紙

若きシーレに多大なる影響を与えたのはクリムト

オーストリアの首都ウィーンは19世紀末に都市開発が進みます。

多彩な芸術文化が花開くウィーンで、

古い伝統を打ち破り新しい芸術を生活に浸透させようとした芸術家たちが現れます。

クリムトを中心に結成されたウィーン「分離派」です。

am I talented? 僕には才能がありますか?

Talented? Yes, much too much 才能がある?それどころかありすぎる。

1907 17歳でクリムトと出会ったシーレとクリムトの会話

エゴン・シーレ展

シーレ:装飾的な背景の前に置かれた様式化された花 1908

このシーレの絵の正方形のキャンバスはクリムトが好んで用いたものだそうで、

画風にもクリムトの影響が見られる作品。

友人たちからは銀色のクリムトと呼ばれていたのだとか。

オーストリア表現主義の芸術家たち

エゴン・シーレ展

シーレ:ほおずきの実のある自画像 1912

20世紀初頭のヨーロッパでは表現主義という美術運動が各地で起こります。

激しい色彩や大胆な筆使いで、書き手の内面や感情を表現しようとする画家たちが登場します。

歴史や神話などの伝統的な画題ではなく、

それまで描かれることのなかった不安や恐れ、絶望、怒りなど、

目に見えない精神的なものが表現されました。

1910年頃、シーレはクリムトを知り尽くしたと言い、

自画像を描くことで自らを探究していったのだそうです。

この上もなく甘美な生の過剰さに満ちた永遠の夢想はー休みなくー内に、魂の中に、不安な痛みを抱えながらー炎を上げて燃え、闘いへと激しさを増す、ー心臓の痙攣。シーレ詩「自画像」より1910

偉大な世界観を獲得するためには、ナイーブで純粋な目で世界を観察し、経験する必要がある。シーレ1912

シーレ、その破天荒な人生

エゴン・シーレ展

シーレ:縞模様のドレスを着て座るエーディト・シーレ 1915

わずか28年という短い人生だったシーレのそれは、ドラマのようなエピソードに溢れていました。

最年少で難関の美術学校に入学。

しかし、保守的な教育に満足できず退学。

孤独と不安を抱えながら自己を探求し、独自の道を歩みました。

人の裸体をあらわに描き生や死に迫る画風が世間に理解されず、

21歳の時には猥褻な絵画を公にした罪で有罪に。

それにもめげず強烈な画風を展開させていきました。

第一次大戦で招聘されても創作活動はやめなかったと言います。

山や水、木や花の身体的な動きをとりわけ観察している。すべてが人間の身体と同様の動き、植物の歓喜や苦悩に似た揺さぶりを想起させる。シーレ、フランツ・バウアーにあてた手紙より1914

新しい芸術家というのはごくわずかしかいない。それは選ばれし者にほかならない。シーレによる新芸術集団の宣言1914

晩年にもたらされた大きな成功

エゴン・シーレ展

シーレ:第49回ウィーン分離派展 1918

1918年、第49回ウィーン分離派展に招待され、分離派会館のメインルームで48点の作品を展示するという栄誉を得ました。

これがその時のポスター。

もともとこの作品は書物ではなく皿が描かれていました。

そして下の空席には人の姿がありました。

描かれなかった人物はこの年の2月に亡くなったクリムトでした。

シーレはじめ多くの画家たちにとって大きな存在だったクリムトを失った空虚感が表されているのだと言います。

そしてその年の10月。シーレも後を追うように亡くなります。

原因はスペイン風邪でした。

なんとシーレの妻エーディトも同じ病気で3日前に亡くなってしまったのです。

若くして病気で、しかも最愛の家族とほぼ同時期に亡くなるって、

このシーレ展の前日に見た佐伯祐三の人生と大きく重なったのが偶然とはいえ驚きでした。

エゴン・シーレ展

すべての芸術家は詩人でなければならない シーレ1918

エゴン・シーレ展

第9章のシーレの風景画は撮影が可能です。

僕は、あらゆる肉体から発せられる光を描く。エロティックな芸術作品にも神聖さが宿っている シーレ、レオポルト・ツィハチェックに宛てた手紙より

エゴン・シーレ展

音声ガイドはまた「聴く美術館」を使用しました。

聴く美術はこちら:https://www.acoustiguide.co.jp/kiku-art/

エゴン・シーレ展

戦争が終わったのだから僕は行かなければならない。

僕の絵は世界中の美術館に展示されるだろう。

シーレ 最後の言葉

まとめ

東京都美術館で開催中のエゴン・シーレ展に行って来ました。

強烈な作風、独特な線、鋭いデッサン力、どの時代の作品も大きく惹きつけられるものばかりです。

そして28歳という若さで亡くなった原因はスペイン風邪だったことを初めて知りました。

しかも3日前に妻を同じ病気で亡くしているとは。

先日東京ステーションギャラリーで見た佐伯祐三の人生と重なる部分があったのも、偶然とはいえ大きな驚きでした。

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