錦鯉のタオルと亀田縞の風呂敷!G7新潟のお礼が届いた!
月2の英語のクラスで疲労困憊!
月に2回のオンライン英語のクラスの日でした。
いつものことながらやること満載で、
9時半にスタートして、途中10数分の休憩をはさんで終了したのが14時前。
4時間超の長丁場!
ただ、これが面白いことに結構あっという間なのです。
内容は発音から始まって今回担当だったIdiom、
その話はこちら:2週間が早い!英語のクラスのIdiom担当が回ってくる!
めっちゃ早い英語のリスニング、日本語を聞いて英文にする通訳練習、
そして英文の小説のリーディング、と盛りだくさん。
それぞれに必死なので時間があっという間に過ぎてしまいます。
内容もとても面白い。
ただ終わると疲労困憊、もう1日終わった気分に毎回なります。
お昼は簡単にコンビニで何か買ってこようと家を出て、
帰りに郵便受けをのぞいたら、何やら分厚い封筒が入っていました。
早速家に戻り開けてみたら、G7のお礼とのことで
錦鯉のタオルと、亀田縞の風呂敷が入っていました。
レセプションのお手伝いをした時に使用したIDも戻ってきました。
G7の話はこちら:さあ、新潟を世界へ!G7・ボランティア、2回目の会合!
錦鯉とは?
先日のNHKの所さん、大変ですよ!で見た方もいるかもしれませんが、
錦鯉は今話題の新潟の貴重な輸出品で、
新潟県の農水産物の輸出額に占める品目別の割合は、
錦鯉が7割、米が3割なのだそうです。
錦鯉とは、赤、白、黒をはじめ、金、銀などの、
鮮やかな色彩の日本を代表する観賞魚のこと。
約200年前に、新潟県長岡市と小千谷市にまたがる、二十村郷という山間部で生まれたと言われています。
この地帯は大変な豪雪地帯で、
冬のタンパク源としての食用の真鯉が水田で飼育されていたのだそうです。
その真鯉の中から突然変異で色のついた鯉が生まれたのが錦鯉の始まり。
新潟県では今でも家族単位の小規模の事業者が、棚田の池で伝統的な養殖方法を続けているそうです。
錦鯉は、安いものは数百から数千円程度で売られているものもありますが、
養殖場では数万から数十万の値幅があり、
中には百万、千万を超えるものまであるそうです。
輸出額で割合が大きいのはアジアで、
香港、アメリカ、中国、ドイツ、オランダ、インドネシアが輸出国の上位を占めています。
昨年11月にはG7が開かれた新潟の朱鷺メッセで、初めての錦鯉サミットが開かれました。
亀田縞とは?
今は新潟市江南区になっている亀田の伝統産業です。
起源は享保年間(1716-1736)とも、寛政年間(1789-1801)とも言われているとか。
その頃の亀田を中心とする農村地域は、日本最北の綿産地だったのだそうです。
もともと農家の自給用として織られていた綿織物の亀田縞は、
亀田商人によってその名が広められたそう。
明治10年以降には織物製造を営む機屋(はたや)が増加し、東北や北海道へ販売され、
明治40年代には染色技術も改良し、同業組合ができたことで産業基盤が確立。
大正期にかけて亀田縞は生産の最盛期を迎えました。
最盛期には660もの機屋によって構成されていたそうですが、
今は2軒を残すのみとなってしまったそうです。
この風呂敷の生産者である立川織物さんは、亀田産地の隆盛の象徴である亀田縞を
「どうしても残しておきたい」「機屋が無くなってからでは遅い」
そんな気持ちから亀田縞復活への取り組みをされたのだとか。
郷土資料館に残る編見本帳や産地に保存されていた布や台 帳を頼りに、
出来るだけ忠実にそしてさらに、以前にはなかった天日干し加工を施して、
柔らかく肌触りの良い綿織物に仕上げたのだそう。
亀田縞はこちら:https://kamedajima-tachikawa.com
まとめ
G7新潟のボランティアから早くも3週間近く。
ポストにお礼の品が届きました。
新潟の重要な輸出品である錦鯉のタオルと、
亀田で復活した綿織物・亀田縞の風呂敷です。
一度は返却したIDカードも戻ってきました。