この日までの特別公開!興福寺・北円堂の四天王立像がお気に入り!
特別公開いっぱいのこの秋の奈良!
久しぶりの飛行機旅、新潟から伊丹空港に到着しました。
リムジンバスで奈良までいく前に、
空港のル・パンで朝食をいただくことに。
神戸の大好きなパン屋さんです。
その話はこちら:奈良へ向かって飛行機でGo! 伊丹空港のル・パンで朝食を!
伊丹から約1時間半で近鉄奈良駅に到着しました。
1年ぶりの奈良旅です。
去年の話はこちら:娘との奈良旅恒例!我が家のオススメはこれ!
今回は娘もおらず1人なので、宿泊は簡単にビジネスホテルです。
今まで泊まった事のない場所に泊まってみたかったので、
近鉄奈良駅の一駅手前のスーパーホテルに宿泊します。
スーパーホテルはこちら:https://www.superhotel.co.jp/s_hotels/nara/
駅の目の前、新しくて綺麗、
すぐ下にセブンイレブンもあってとても便利です。
今回はこちらに3泊の予定です。
とはいえ、まだチェックインには早いので、
リムジンバスを近鉄奈良駅で降りて、駅のロッカーにスーツケースを預けました。
去年、娘と来た時に、
ここのロッカーでスーツケースがピッタリはまってしまって、
取り出せなくなって焦ったのを思い出しました。
夕方まで駅周辺を散策して、ホテルに向かいたいと思います。
どこへ行こうかと思って見たのが11月の特別公開のサイトです。
ちょうどこの日で終了の特別公開があったので、
興福寺の北円堂に行ってみることにしました。
この日までの特別公開にギリギリセーフ!興福寺北円堂へ!
興福寺の国宝、北円堂です。
北円堂は養老4年 (720) に亡くなった藤原不比等の追善供養のために、
元明太上天皇と元正天皇が建立を発願し、
長屋王に命じて一周忌にあたる翌年の8月3日に完成させました。
八角堂は廟堂としての意味をもつそうです。
その後、 永承4 年 (1049) の火災で焼失、
治承4年(1180) の平重衡による南都焼き討ちでも失われました。
が、 承元4年(1210) に復興されています。
興福寺の伽藍で今残るお堂の中ではもっとも古く、
嘉暦2年 (1327) と享保2年(1717) の興福寺大火の時にも無事で下。
北円堂にある諸々の像は治承4年(180) 後に運慶一門によって再興されています。
弥勒如来坐像(国宝・鎌倉時代) が北円堂の本尊像です。
弥勒菩薩が56億7千万 年後に成仏した姿なのだそう。
運慶晩年の名作です。
一番のお気に入りは四天王立像!
決して広いとはいえない北円堂内部には、国宝級の像が所狭しと並んでいますが、
その中でも最もお気に入りなのは四天王の立像です。
左から広目天、増長天、多聞天、持国天
四天王とは
帝釈天の配下で仏教世界を護る神様。
東方を護る持国天(じこくてん)、
南方を護る増長天(ぞうちょうてん)、
西方を護る広目天(こうもくてん)、
北方を護る多聞天(たもんてん)からなります。
多聞天のみ単独で祀られることがあり、単独では毘沙門天(びしゃもんてん)と呼ばれています。
ここ、興福寺の四天王立像は、
増長天像と多聞天像の台座裏の墨書から、
延暦10年(791)に創作、もと大安寺(奈良市)に伝来した四天王立像であり、
後に興福寺に移り、弘安8年 (1285)に経玄が修復していることがわかっています。
木肌の上に厚く木屎漆・こくそうるし(木屑と漆を混ぜたもの)を盛り上げて整形する
木心乾漆造(もくしんかんしつづくり)という作り方でできています。
高さは140センチ足らずですが、下半身は安定し、
持国天や多聞天は筋骨隆々としています。
それぞれのユーモラスな表情や、足元に敷かれる餓鬼の姿など、
なんだかとても魅力的で1番のお気に入りです。
またスタイルのいい体にまとった衣装やかざりもとてもおしゃれ。
北円堂の御朱印もいただいてきました。
興福寺はこちら:https://www.kohfukuji.com
まとめ
新潟から伊丹空港へ出発し、伊丹からバスで奈良に向かいました。
ホテルのチェックインには早いので、
スーツケースを近鉄奈良駅のロッカーに預け、
この日まで特別公開している興福寺の北円堂に行くことにしました。
本像の国宝・弥勒如来坐像もさることながら、
私のお気に入りはこれまた国宝の四天王立像です。
ユニークな表情、足元の餓鬼たち、スタイルの良さとおしゃれな衣装。
公開最終日に見ることができて良かったです!