海龍王寺!ミニ五重塔は国宝!重文・十一面観音菩薩像は特別公開中!
奈良旅、最終日も晴天!法起寺に行ってみよう!
毎年のお楽しみ、奈良の正倉院、秋の旅。
今年は娘がいないので1人で行って来ました。
ちょうど正倉院見学の日だけ雨に振られましたが、
正倉院の話はこちら:今年も来ました!正倉院展の宝物に心ときめく日!
そのほかは真夏日のいい天気。
寒さを気にして長袖ばかり持って来たのに、
あまりの暑さに途中で半袖のTシャツを買ったほどです。
今回は正倉院展と2日目と3日目の夕飯だけ予定が決まっていて、
その他は行き当たりばったりの気まま旅。
初日はたまたまその日までの特別公開だった
興福寺の北円堂に行ってみました。
その話はこちら:この日までの特別公開!興福寺・北円堂の四天王立像がお気に入り!
3日目には前は通っていたのに行ったことのなかった平城宮跡へ。
想像を超えた壮大なプロジェクトが進行中でした。
その話はこちら:朱雀門の向こうによみがえる!壮大な平城宮の世界!
そして最終日。
近鉄奈良発15時台のリムジンバスで伊丹に行って、
伊丹空港発19時台の遅い便で新潟に帰るので、
10時にチェックアウトした後も時間はたっぷりあります。
唐招提寺などの西の京に行こうか、とも思いましたが、
今回平城宮跡近辺に行ったときに、法華寺が近くにあると知り、
その辺りに行ってみようと思いました。
荷物を一度近鉄奈良駅のコインロッカーに預け、
バスで法華寺を目指しました。
近鉄奈良駅近くの13番乗り場のバス停から西大寺行きのバスに乗ります。
ん?海龍王寺?素敵な名前に惹かれてお参り!
法華寺のバス停で降りて、法華寺方面に歩き出しました。
すると標識に海龍王寺の名前があります。
なんか、かっこいい名前!
行ったことないし、どうせならそちらにも行ってみようと思い、
ちょっと来た道を戻って海龍王寺を目指しました。
相変わらず何の予備知識もなく伺いましたが、
正倉院展でお馴染みの光明皇后ゆかりのお寺で、
なんか光明皇后がますます近くに感じられる素敵なお寺でした。
海龍王寺はこちら:https://kairyuouji.jp/
海龍王寺とは?天皇家の寺院!
京都が平城京に移った710年、
聖武天皇の皇后、光明皇后の父である藤原不比等がこの地に邸宅を構え、
その時、敷地内にあった寺院がこの寺の前身だそうです。
ちょうど平城宮の北東に位置し、鬼門にあたります。
その後藤原不比等は720年に亡くなり、
娘である光明皇后が邸宅を相続、寺院も皇后宮内寺院となりました。
731年には留学僧として唐に渡っていた玄昉(げんぼう)が
暴風雨に遭い大変な思いをしながらも無事に帰国を果たします。
その際に海龍王経というお経を唱え無事に帰国できたことから
お寺の名前になったそうです。
最新の仏教、仏法のみならず、鎮護国家の基礎となる仏教政策も学んできた玄昉から
いつでも自由に意見を求められるよう、
平城宮の内裏に近く、皇后が居住する皇后宮内にある海龍王寺の住持を玄昉に任じました。
密教にも通じていた玄昉は、聖武天皇・光明皇后、
そして聖武天皇の生母である藤原宮子のために祈願・祈祷をしたことで、
海龍王寺は天皇家との関わりが非常に深くなりました。
「天皇家の寺院」となり、「宮廷寺院」として 天皇家を支えていきます。
平城宮の衰退と共に衰退、鎌倉時代には戒律道場として栄える
奈良時代は「宮廷寺院宮中内道場」として繁栄しましたが、
平安京に都が移ると、平城宮の衰退と並ぶように海龍王寺も衰退します。
鎌倉時代を迎え、真言律宗の宗祖である叡尊の大罪をきっかけに伽藍の復興が進められ、
戒律の道場として栄えます。
1365年から1766年の間には
海龍王寺から五名の西大寺長老を輩出し、真言律宗の中でも筆頭格寺院になりました。
鎌倉時代は戒律の道場として栄えたものの、
室町時代に起こった応仁の乱の影響を受け、江戸時代まで衰退が続きます。
江戸時代になり徳川幕府から知行百石を与えられたことで伽藍の維持・管理を行っていましたが、
明治の廃仏毀釈の際、 東金堂および什物を失うなど大きな打撃を受け、
その後、昭和28年まで荒廃にまかされていました。
昭和40年~42年にかけて西金堂・経蔵の解体修理を行い、現在に至ります。
国宝!五十小塔、重文・西金堂!光明皇后宮内に残る唯一の奈良時代建造物!
暴風雨の中、海龍王経を唱え、
無事に帰国を果たした玄昉が住持に任じられたことで、
聖武天皇から寺号を海龍王寺と定められ、
遣唐使の渡海安全祈願を修することになりましたが、
海龍王寺に残されている海龍王経には、
東シナ海を渡った奈良時代の人々の思いが刻まれています。
また、玄法は般若心経の流布や講釈を熱心に行ったことから、
海龍王寺において般若心経の写経が盛んに行われ、
隅寺心経と称される般若心経の写経が現在も海龍王寺に残されており、
般若心経写経の原本して大切にされています。
国宝・五重小塔、重文・西金堂は「光明皇后宮内に残る唯一の奈良時代建造物」であり、
「宮廷寺院」の伽藍を現在まで伝えています。
十一面観音菩薩像(重文)、特別公開中!
十一面観音立像 (鎌倉時代) がちょうど公開中でした。
海龍王寺の本尊で、光明皇后が自ら刻まれた十一面観音像をもとに、
鎌倉時代に慶派の仏師により造立されたのだそうです。
十一面観音菩薩像はこちら:https://kairyuouji.jp/about/statue-of-buddha/
また、ここ海龍王寺の十一面観音像も含め、
奈良の8箇所の十一面観音像を巡る巡礼もあるのだそうです。
行ってみたい!
八十八面観音巡礼はこちら:http://yamatoji88.jp/?#modelcourse
継続寄付でご支援募集中、だそうです!
海龍王寺は奈良時代に由来のある国宝や重要文化財を所蔵していますが、
檀家を持たない寺院のため、 境内や文化財の修繕・保全費用の大半を
訪れてくれる方々からの浄財に頼っているのだそうです。
住職が2年前に急な体調不良に見舞われた際
「私の生涯でできることを始めなければならない」との思いを強く持ち、
寺を守り育てていくため継続的に資金を集める海龍王寺「継続寄付」 活動を始めたとのこと。
寄付金は、主に文化財の日常的な保全作業や防災対策、
建物の修繕および「本堂解体修理の積み立て」 に活用するそうです。
寄付詳細ページはこちらから: https://readyfor.jp/projects/114105
大好きな正倉院展でお馴染みの光明皇后ゆかりのお寺の窮地に
私も何かできないか考えてしまいます。
まとめ
年に一度のお楽しみ、正倉院展・秋の奈良旅。
最終日のこの日も暑いくらいのいいお天気でした。
先日平城宮跡に行ったときに法華寺もこの近辺にあると知り、
行ったことがなかったので行ってみることにしました。
法華寺を目指す途中、海龍王寺というお寺があることを知り、
その名前に惹かれて行ってみました。
正倉院展でお馴染みの光明皇后ゆかりのお寺で、
国宝の小さな五重塔や、特別公開の十一面観音菩薩像を見ることができました。