朱雀門の向こうによみがえる!壮大な平城宮の世界!
朱雀門広場から朱雀門へ!
平城宮跡歴史公園の天平うまし館で遣唐使船に乗った後、
その話はこちら:平城宮跡歴史公園へ!天平うまし館で遣唐使船に乗る!
朱雀門広場から朱雀門に行ってみることにしました。
平城宮後歴史公園はこちら:https://www.suzakumon-heijokyo.com
この広場がこの史跡の全体なのかと思っていたのですが、
入り口の地図でさらにその奥に何倍もの敷地が広がっていることを知りました。
平城宮の正面であるこの朱雀門広場は、1300年前、
当時の人々にとってかけがえのない祝祭の場所でした。
外国使節の送迎や、新年には天皇が門まで出向き、お祝いをすることもあったそうです。
朱雀大路と二条大路の整備を行い、
2018年にこの朱雀広場が新たな観光の拠点として開園しました。
この広場を囲むように、
先ほど覗いた天平うまし館、
出土品や資料を公開している平城宮いざない館、
授乳室、休憩室やバスの待合所のある天平みつき感、
サイクルステーションや展望デッキ、VRシアターなどがある天平みはらし館、
団体旅行の待ち合わせ場所などとして利用できる天平つどい館の5つの施設が整備されています。
朱雀門!その先にさらなる広大な世界があった!
朱雀門広場から朱雀門に向かいます。
かつて朱雀門の左右には高さ6メートルの築地塀がめぐり、
約1キロ四方の広さの平城宮を取り囲んでいたのだそうです。
現在の朱雀門は1998年に復元されたもので、
間口25メートル、高さ約20メートルの入母屋二重構造でできています。
朱雀門からさらに奥を見てみると遠くに第一次大極殿の大極門(南門)が見えました。
今回、ここに来るまで、朱雀門のさらに奥にこんな広い世界が広がっていることを知りませんでした。
ほとんどの人がこの朱雀門で立ち止まって大極門を眺めているので、
見学できるのはここまでなのかと思ったら、あの奥まで行けるようです。
目の前には電車の線路が通っていて、時折電車が通過していきます。
奥まで行ってみることにしました。
線路を渡って大極門へ!進むプロジェクト!東楼・西楼再現工事中!
朱雀門からさらに進んでいくと線路を横断できるところがありました。
線路を渡って進んでいきます。
それにしても広大な敷地で、
ここだけ歩くだけで10000歩を達成してしまいそうです。
線路を渡って大獄門の正面に行ってみると台のようなものがあり、
いくつか柱のあとと思われるものが残っていました。
この台から見えているのが大極門で、
大極門の復元プロジェクトは平成34年とあるので、令和4年、
つまり昨年完成したということですね。
その右側に描かれている絵の中で建設中なのが東楼です。
これが完成したら大極門の左側にも西楼を建設するのだそう。
せっかくなので東楼建築中の櫓に登ってみました。
朱雀門を振り返るとこんな景色です。
西には生駒山が、
東には東大寺が見えています。
現場にいらしたボランティアガイドの方の話によると、
西楼まで完成するには、あと、15、6年で終わるかどうか、という感じのようです。
完成した平城宮を見られるのか、見られないのか。
大極門復元の様子はこちら:https://www.heijo-park.jp/about/fukugen/
ここが平城宮の最重要建築物!第一次大極殿!
大極門を抜けてさらに奥に進んでいくと、
いよいよ大極殿が見えてきました。
こんな奥までプロジェクトが進んでいたのですね。
この大極殿は平城遷都1300年に合わせて2010年に完成したのだそうです。
全く知りませんでした。
大極殿は平城宮の中心となる最も重要な建物で、
710年に遷都した5年後の715年に竣工したと考えられています。
平城京の都づくりは古代中国の都市計画を参考にしているので、
中国古代天文学と結びつきの深い考え方を基本にしているので、
大極殿という名前は北極星を表す大極星から来ているのだそう。
当時の設計図は残っていないので、復元にあたっては
発掘調査からわかることや推定されること、
また古代建築物として現存する法隆寺金堂や薬師寺東塔などを参考に、
続日本紀、年中行事絵巻などの多くの歴史資料を参考にして、
奈良時代の姿に忠実に復元することを目指したのだそう。
2010年の平城遷都1300年記念祝典に上皇陛下がご臨席され、
この平城宮跡を訪問された時のことをお詠みになった歌が残されていました。
研究を重ねかさねて復元し 大極殿いま 目の前に立つ
まとめ
前から行ってみたいと思っていた平城宮跡へ行ってきました。
朱雀門広場から朱雀門へ行き、さらにその奥に広大な宮殿が広がっていることを知りました。
一番奥にある大極殿は2010年に、
その手前の大極門南門は2022年に復元されています。
南門の右手には現在東楼が復元中で、
その後さらに西楼の復元もされるのだそうです。
15、6年なのか、更にもっとかかるのかわかりませんが、
ぜひ完成した時にここを再び訪れて、天平の時代に思いを馳せたいものです。