旧陣屋跡のお堀の中の素敵な空間!愛媛民藝館へ!
陣屋を中心に発展した西条の街
日本全県めぐり2周目の旅、44県めは愛媛県に旅立ちました。
初日の様子はこちら:日本全県めぐり2周目の旅!44県めは愛媛へ
2日目は朝から前日に場所の確認をしておいた、今回の旅のメイン「愛媛民藝館」に向かいます。
豊かな水の街、西条。
陣屋跡への道のりも、綺麗な水の流れをあちこちに見ることが出来ました。
この建物の右側が民藝館、左側が郷土博物館になっています。
西条の街は江戸時代、1636年に伊勢神戸の城主であった一柳氏が西条藩主となりました。
2代目の一柳直重が陣屋を築造し、城下町として開かれます。
その後1670年には、徳川家康の孫の松平頼純が藩主となり、その後200年間、3万石の城下町として栄えました。
その陣屋の跡の大手門やお堀などが現存しています。
そのお堀の中に建てられたのが愛媛民藝館です。
館内、指定されたもの以外の撮影は可能でした。
そもそも民藝とは
この愛媛行きのきっかけとなったのは、元はといえば12月の東京の国立近代美術館での民藝100年展です。
その話はこちら:「民藝の100年」芹沢銈介の民藝地図にひとめぼれ
そこから鳥取民藝館につながり、そしてここ愛媛へと導かれました。
そもそも民藝とは、「民衆的工芸」の略語です。
大正時代の終わりに柳宗悦、河井寛次郎、濱田庄司らによって作られた造語です。
柳らは、華美な装飾が施された観賞用の美術工芸品に対し、名も無き職人の手仕事から生まれた日常道具のなかに、簡素で健やかな美しさを見出しました。
その土地の風土や伝統に根ざし、職人によって繰り返し作られる実用的な民品には、使ってこそ活きる美しさ「用の美」が備わっていると考えました。
それらの道具を実際に取り入れることが、人々の心穏やかな暮らしに繋がると考えたのです。
最初はそれほど興味のなかった民藝ですが、見るたびに徐々に引き込まれ、今ではすっかりその考え方や作品に魅せられています。
愛媛民藝館とは
愛媛民藝館は、昭和42年に「東予民藝館」として開館し、今年で55年目を迎えます。
東予とは、私も今回愛媛に行って知ったのですが、愛媛を3つの地域に分けて呼ぶ呼び方だそうです。
東予は今治、新居浜、西条、四国中央市など、
中予は松山、伊予、東温市など、
南予は宇和島、八幡浜、大洲、西予(せいよ)市などが含まれるそうです。
こうして見ると愛媛の市名をよく知らなかったことに気づきます。
今回訪れた西条も知りませんでしたが、四国中央市、東温市、大洲市、西予市も初めて知りました。
話を民藝館に戻します。
東予民芸館は当時の倉敷レイヨン(現在のクラレ)の社長・大原総一郎氏が立ち上げを提唱し、建設されたのだそうです。
大原氏は当時の日本民藝協会長でもあったそうで、開館時には濱田庄司氏も訪れたとか。
濱田先生は高校の大先輩で、母からよくその名前を聞かされ名前はよく知っているのですが、当時はあまり民藝に興味がなく…。失礼なことをしました。
東予民芸館は東予の文化人、経済人など多くの方々に親しまれ、昭和52年に「愛媛民藝館」に改名します。
現在は、クラレをはじめとした企業や民間会員、関係機関からの支援を受けて、活動を続けているとのこと。
令和2年度には、隣接する西条郷土博物館と五百亀(いおき)記念館の指定管理者となり、 陣屋跡にある文化施設が連携。
そうすることで、西条市の文化・観光の拠点となるべく 取り組んでいるそうです。
愛媛民藝館はこちら:https://ehimemingeikan.jp/index.html
愛媛民藝館の建築
土蔵造りの白壁に黒瓦が目を惹きます。
この建物は、倉敷レイヨン(現:クラレ)の営繕技師として活躍した建築家・浦辺鎮太郎による設計です。
隣接する「西条郷土博物館」とひとつづきの鉄筋 コンクリート造2階建てとなっています。
館内へと導く大きな格子戸を開けると、天窓から光が射し込む開放的な空間が広がります。
アーチ状の壁や木材を用いた建具・窓枠、伊予の青石を敷いた玄関アプローチなどとても温かみがある建物です。
浦辺氏は地域の素材を積極的に取り入れようと、随所に工夫をしたそうです。
吹き抜け、2階建て、ときめきの民藝の世界!
優しくすっきりと温かく、でもキリッと整った空間
まず大きな入り口の戸を開けると、
そこには白壁の明るく開放的な民藝空間が広がっています。
ここは吹き抜けになっていて、壁にある大きな民藝地図が印象的です。
濱田先生やご子息の濱田友緒氏の作品が並んでいます。
器も素敵ですが、敷いてあるクロスも素敵です。
早春のお花のディスプレイも素敵。
このお皿もとても素敵でした。
こんな手水鉢を洗面台に使いたいです。
一階の壁際にはガラス棚の中にさまざまな作品が展示されています。
大徳利から
大皿など
この郡中十錦というカラフルなのに落ち着いた色絵のお皿がとても好きでした。
こちらもそのシリーズです。
一階奥にはお雛様や、
このような民藝品の展示もありました。
こちらは針子人形作家で人間国宝の宮内フサさんの作品です。
宮内フサさん
明治16(1883)年9月10日生まれ。 香川県高松市出身。
明治維新後に人形屋をはじめた梶川家の次女として誕生したフサは、 父・政吉から高松張り子の技術を学び, 4歳頃から人形を作りはじめたそうです。
その後「奉公さん」をはじめ多数の郷土人形を制作。
昭和34年、代表作のひとつである「鯛持ちえびす」は、 当時の郵政省の年賀記念切手の図案に採用されています。
昭和60年12月23日、老衰のため102歳で亡くなるまで、栗林公園の南にある自宅の八畳間の作業場にて絵筆を持ち続けたそうです。
愛らしく手作りのあたたかみがある高松張り子は、フサの次女・マサエに受け継がれ、現在は、マサエの姪にあたる太田幹子さんに継承されているとのことです。
ショップもあります
雛人形の反対側のコーナーはショップになっています。
小皿やガラス製品からファブリックまで、
産地も日本に限らずアジアのものなどさまざま。
私はやはりガラスにときめく性質があるようです。
綺麗なガラスを見るとキュンキュンしてしまいます。
こちらの名刺入れとハガキをお土産に購入しました。
2階へ行ってみます
踊り場には柳宗悦氏の掛け軸が。
このタンスも素敵です。
さまざまな仕事道具が飾られた階段を昇ります。
天井の照明も壁も優しい感じがいいですね。
壁には河井寛次郎氏の仕事のうた。
吹き抜けから見下ろす館内も素敵です。
中央にはゆったりとした空間に花が飾られていて、
その周りを大きな家具などや
大きな作品が整然とスッキリ展示されています。
天井の照明が梅の模様で可愛らしいです。
千両箱や
そろばんなどもありました。
奥のウィンドウの中には濱田先生の作品の数々が。
こんな大皿や
こんな鉢や
こんな土瓶を普段の生活で使えたら素敵です。
2階奥のショーケースの中には
民藝関係の資料の展示もありました。
昭和44年のポスターだそうです。
民藝館建築の資料もありました。
再び吹き抜けから見渡す民藝地図と民藝の世界
ずっとこうして見ていたい空間です。
まとめ
愛媛民藝館に行ってきました。
そこは水の豊富な街・西条で江戸時代からの陣屋跡のお堀の中に立つ、民藝のために作られたどっぷり民藝の世界に浸れる素敵な空間でした。
受付の女性もとても素敵な方で、国立近代美術館→鳥取民藝美術館→愛媛民藝館と辿ってきたとお話ししたら、松本の民藝館も素敵ですよと教えてくださいました。
次の行き先が決定です。