珠玉のコレクション!愛媛県美術館でブーダンに出会う!
天井が高く光がいっぱいの美術館!
旅行をしたらその県の県立美術館に寄るのも楽しみの一つです。
どこの県立美術館も、その県を代表する美術館としてランドマーク的な立地にあることが多く、コレクションも素晴らしいことが多いのです。
桜満開の松山城を楽しんだあとは、リフトとは反対側の黒門口登場道から城山公園側に出て、愛媛県美術館に行ってみることにしました。
松山城はこちら:松山はいで湯と城と文学の街!桜満開の松山城へ!
公園から振り返った松山城が素敵です。
広々とした緑の芝生の公園にはたくさんの人が出ていました。
愛媛県立美術館もこの公園の一角にあります。
とても立派で、ガラス張りの明るい美術館でした。
コレクション展を開催中でした。
「コレクション・ハイライトV」という展示と、
「コレクション展VI・描かれたかたな」という展示です。
展示室のある2階に登って、先の通路に受付がありました。
愛媛県美術館とは
愛媛県立美術館は、参加創造型の美術館として、1998年に国指定史跡の松山城趾内に開館しました。
美術館のコレクションは、その前身である愛媛県立美術館(1970年開館)に始まり、主に郷土作家の作品を収集しています。
199年11月に愛媛県立美術館として再出発するのを機に、現在のコレクションの中心であるモネ、セザンヌなどの海外アーティストの作品を収集。
また日本近代絵画を代表する安田靭彦(ゆきひこ)などの作品も収集。
郷土出身作家の作品も加わり大規模なコレクションとなったそうです。
現在ある約12,000点の収蔵品から、「所蔵品による特別展示」としてコレクション展を開催しているそうです。
まずは「コレクション・ハイライトV」展へ
作品の写真は撮れませんが、国内外のコレクションの代表的な作品に配布用解説ノートがあったので、気になる作品・作家をご紹介。
星新一・信頼のイラストレーター!真鍋博 (まなべ ひろし)
昭和7(1932)年-平成12 2000)年
愛媛県宇摩郡別子山村(今の新居浜市)に生まれ。
多摩美術大学油彩科卒業後は、 池田満寿夫らと1955年にグループ「実在者」を結成。
油彩を描く一方、1956年雑誌 「ユリイカ」 そうてい のカットを担当、風刺漫画、本の装幀、挿絵とイラストへの関心を高める。
SFショート・ショートの星新一さんが信頼を置くイラストレーターでした。
元祖・ワークライフバランスの師⁈ 吉田蔵澤 (よしだ そうたく)
享保7 (1722) – 享和2 (1802)年
松山藩士の長男として生まれ、松山藩士として活躍した。
風早郡(かざはや・現在の北条市)の代官、後には野間郡の代官も兼ね、藩政の中枢にも参画した。
一方、絵を好み、青年期には狩野派に学んだという。
老年にいたって、墨を自在に用いた作風、特に墨竹に優れ、「竹の蔵澤」と称されるほどだったとか。
政治の世界に身を置きながら、余技として画に親しむ、まさにWork Life バランスの取れた人だったのですね!
歴史画の名手!前田青邨 (まえだ せいそん)
明治18 (1885)年- 昭和52 (1977) 年
岐阜県中津川市生まれ。
早くから日本画家を志て上京、当時最も注目された若手だった梶田半古の画塾に入門し歴史画、人物画を学ぶ。
そこで小林古径と出会い、さらに安田靭彦(ゆきひこ)や今村紫紅(しこう)を知ったことが、青邨の画業に様々な影響をもたらす。
古画研究と写生を重ねることで、文学性を排して純粋に色と形の美を追求した明朗でスケールの大きな自らの作風を確立。
そして私の大好きな!ウジェーヌ=ルイ・ブーダン
(Eugène-Louis BOUDIN) 1824-1898
フランスの港町オンフルール生まれ。
アトリエでの制作よりも戸外制作を好み、 光の戯れ、色の移ろいを探求した為、「印象派の先駆者」と呼ばれる。
紳士淑女の娯楽や社交を描いて一躍人気作家となった。
次第に漁業や農業に従事する民のいる風景や、人気のない自然のすがたを専ら描くようになる。
私がブーダンに出会ったのはバレルコレクション展でした。
その時に出会ったのがこちらのノートのこの帆船の絵です。
今だにもったいなくて使えずにいるこのノート。
つい先日、ニュースでスコットランドのグラスゴーにあるバレルコレクション美術館の修復が終わったと言っていました。
いつか訪ねて見たいものです。
グラスゴーのバレルコレクション美術館はこちら:https://burrellcollection.com
あのグラン・ブーケのルドンの作品も!オディロン・ルドン
(Odilon REDON) 1840-1916
フランス南西部ボルドー生まれ。
1860年代から1870 年代にかけて銅版画や石版画の技法を学ぶ。
象徴主義の文学者ユイスマンス、マラルメ、ボードレールらと交友を結び、モノクローム
世界の表現を探求。
1890年頃からナビ派の画家たちと親交を深め、神話や宗教、花などを主題に、油彩やパステル画に表現の関心を移す。
色彩的に抑制されたモノクローム作品から一転して、夢幻的な色彩を花開かせた。
三菱第一号館美術館で見たグラン・ブーケを思い出します。
「コレクション展VI・描かれたかたな」展から
歴史画で名高い日本画の巨匠!安田靫彦 (やすだ ゆきひこ)
明治17 (1884)年-昭和53 (1978) 年
東京生まれ。
大変な歴史好きだったこともあって、若い頃から歴史画を好んで描き、早くから実力を認められる。
明治期の日本画革新運動の指導者だった岡倉天心に高く評価されていた。
大正期の天心没後は、横山大観らとともに天心の理想を掲げて日本画革新を主導する。
洗練された描線と落ち着いた色彩、安定感ある構図を特徴とする。
古典的な風格ある格調高いスタイルは昭和期の多くの画家たちに大きな影響を与えた。
この名前は覚えておきたいと思います!梶田半古(かじたはんこ)
1870(明治3)年-1917(大正6)年
東京生まれ。
少年時代から画家を志し、 16歳で展覧会入選、若手の画家として頭角を現す。
古典文学や歴史にも詳しく、英語も独学。
旺盛な好奇心、文学的な教養の豊かさ、画家としての力量が尾崎紅葉ら小説家たちに愛され、『金色夜叉』をはじめとする新聞小説の挿絵を数多く手がける。
女学生のリボンで結んだ長い髪、海老茶色の袴で自転車にまたがるモダンな姿は、明治の若者たちに大いに支持されたのだそう。
歴史画家としても美人画家としても優れ、流行のファッションの発信者でもあった。
この「鵯越」の絵からは想像できないですが、この名前、覚えておきたいと思います。
まとめ
愛媛県美術館はお城の敷地内の立地も、光あふれる建物も、珠玉のコレクションもとても素敵な美術館でした!
大好きなブーダンの作品や、今まで疎遠だった安田靭彦や梶田半古と出会えたことも貴重です。
大満足の鑑賞の後は、ミュージアムカフェで至福のとき!