萬代橋の景観を考えるセミナーに行ってみた!

萬代橋

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萬代橋の景観を考えるセミナーに行ってみた!

萬代橋誕生祭のご縁で

万代テラス

万代テラス

佐渡おけさ踊り隊の活動から、

萬代橋誕生祭の実行委員に入れていただいています。

今年の萬代橋誕生祭では会場が例年と変更になり、

先日下見に行った万代テラスで開催することが決まっています。

その実行委員会でお世話になっている方が

「萬代橋周辺の景観とまちづくり」というセミナーに登壇されると聞き、伺ってきました。

この日の午前中はG7のボランティアの反省会?が市役所で開催され、

私も参加してきました。

予定では余裕でハシゴできるはずだったのですが、

反省会が思いのほか長引き、一度家に戻ってから、また徒歩で会場を目指しました。

こちらは反省会でいただいたお弁当です。

「萬代橋周辺の景観とまちづくり」セミナー

萬代橋周辺の景観とまちづくり

土曜日の午後から3時間の予定で開催されたこちらのセミナー、

信濃川河岸付近に高層建築の建設が進んだ事態を受け、

2007年にこの地区を特別区域に指定、50メートルの高さ制限を設けて景観形成基準としてきました。

それをこの2023年2月に新潟市が基準の一部を修整し、周辺にオープンスペースを設けることで、

高さ100メートルの高層建築が可能としたのです。

このことをきっかけに、今回のこのテーマで話あう場を設ける、というセミナーでした。

会場は新潟市歴史博物館のセミナー室です。

基調講演は新潟大学名誉教授・河川工学の大熊孝先生による

「人間的空間をつくる萬代橋」、

そしてNPO法人全国町並み保存連盟理事長で、千葉大学の名誉教授・福川裕一先生による

「まちなみ型のまちづくりと萬代橋」でした。

その後、ユニバーサルカラープランナー協会会長で、

総合色彩プロデューサーである高松智子さんと、

新潟まち遺産の会代表であり今回のコーディネーターである大倉宏さんを加えての

シンポジウム「萬代橋周辺の景観と空間デザイン」が開催されました。

たまたま行かせていただいたセミナーですが、

日頃から疑問、興味のあった事柄について知ることができ、

とっても有意義な時間でした。

セミナーの内容は7月末まで、

新潟まち遺産の会のFBページから視聴できるそうです。

自動車が走る橋としての重文指定は日本橋に次いで国内2例め!

萬代橋

現在の萬代橋は3代目で今年94歳を迎えます。

萬代橋は2004年に国の重要文化財に指定されていますが、

日本で一番最初に指定されたのは日本橋です。

今の日本橋は首都高が上を通っていて、

あまり橋らしい景観は見ることができませんが、

将来的には地下化して、橋らしい景観が見えるようになるとのこと。

2040年の完成を目指して、すでにその工事は着工しています。

その日本橋についで、自動車が走る橋として重要文化財に指定されたのは、

萬代橋が全国で2例めなのだそう。

知りたかった!萬代橋の欄干のこと

会場の歴史博物館

会場の歴史博物館

街のシンボルとして多くの人に愛されているこの橋の魅力の1つは、

その背の低い欄干にあると思っているのですが、

こんな低くて行政とかが安全のためにもっと高くしようとか言い出さないのか、

ずっと疑問に思っていました。

それが今回の大熊先生のお話でスッキリ、解決!することができました。

橋の欄干のことを、橋梁工学では高欄というそうです。

重要文化財になるためには、防護柵である高欄の高さに基準があるのだそうです。

1998年に定められた建設省道路局の通達では、

防護柵の高さは歩行者の転落防止を目的として高さ110センチを標準とする、

とされているそうです。

お茶の水に聖橋というアーチ橋があるのですが、

そちらの高欄の高さはこの通達に基づき120センチに改造されたのだそうです。

一方、萬代橋の欄干の高さは85センチ。

重要文化財になるにあたって、この高さが問題点となったのだそうです。

85センチとは、子供でも橋の上からの景色を楽しめる高さ。

120センチでは外は見えずに壁の中を歩いている感じになってしまいます。

橋の高欄の高さはいかにあるべきか、が論点となり、

文化財としての人間的空間である萬代橋を守りたい、という思いから、

萬代橋は80年間安全であったことを証明し、

これからもその安全性を市民が守ることを約束して、

元々の高さを維持したまま重要文化財となったそうです。

萬代橋で花火の時に落下事故が起きた、という話は、

戦時中に金属共用で橋の欄干を木製に変えたことにより、

戦後すぐの花火で人が寄りかかって落下した、ということなのだそうです。

今の欄干の話ではなかったのですね。

欄干のことを調べていたら面白い文章に出会いました。

高度成長時代の恐ろしい計画の数々!

まずは堀を埋めました

歴史博物館

セミナー会場の歴史博物館前に堀が再現されています

新潟市は江戸時代から北前船の寄港地で、

街中にも何本も堀が敷かれ船が行き交う川みなとまち。

柳都と呼ばれる、お堀に柳が揺れる水の街でした。

そんな堀をなんと、

昭和39年開催の国体のために全部埋め立ててしまいました。

今も西堀、東堀、新堀などなど

堀のついた道路がたくさんあります。

鳥屋野潟も、信濃川下流も埋め立てる計画が!

歴史博物館から見る佐渡汽船

歴史博物館から見る佐渡汽船

現在、冬になると白鳥が飛来する鳥屋野潟。

この鳥屋野潟も全面干拓の計画があったのだそう。

そしてなんと、昨年50周年を迎えた関屋分水は、

その下流の信濃川を埋め立てる計画だったのだそうです。

分水ができて、信濃川の水量をコントロールできるからこそ、

今、信濃川の川沿いでも安心して暮らすことができています。

でも本来の計画は分水から下流は埋め立てて

宅地などにして販売しようとしていたのだとか。

それが昭和39年の新潟地震で、

昭和大橋は倒壊するは、萬代橋の両端が破壊するは、

川沿いの土地は液状化現象が起こることが明確になり、

埋立地は到底販売できない、となったのだとか。

なんでもかんでも埋めてしまう高度経済成長期の改造計画、

恐ろしすぎます。

もし新潟地震が起こっていなければ、

信濃川は埋められて宅地が販売されていたのかも。

まとめ

「萬代橋周辺の景観とまちづくり」というセミナーに参加しました。

偶然伺ったセミナーですが、萬代橋だけでなく、

それにまつわるさまざまな周辺のもの、こと、人の歴史や変遷を知ることができ、

知りたいこと、知りたかったことがいっぱいでした。

特に疑問に思っていた萬代橋の欄干のことが聞けてスッキリです。

高度経済成長期の恐ろしい計画も知ってびっくりしました。

知れば知るほど面白い新潟。とても勉強になりました。

 

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