2018年10月最初の人工股関節置換手術を受けることに
東京の病院で手術を受けることにしました
2018年の4月、5月とまだ弾丸ひとり旅ができるほどだったのが、6月から夏にかけて急速に痛みが進行していきました。
7月に入っても仕事も東京出張もこなしていましたが、流石に痛みで歩けなくなって駅のベンチで休むこともしばしば。
ただこの頃も痛み止めを処方してもらいながら忙しい日を過ごしていました。
プライベートでも春頃に立ち上げた「佐渡おけさ踊り隊」という活動が8月に向けて準備中だったこともあり、公私ともにやることを沢山抱えていました。
この「佐渡おけさ踊り隊」の活動についてはまた後日お話しできたらと思います。
そんなこんなで怒涛のような8月を駆け抜け、ちょっと落ち着いた9月になって再度ちゃんと検査しようということになったのだと思います。
そしてその診察でいきなり右股関節の大腿骨骨頭壊死、
しかも左股関節にも症状が現れているというショックな結果を聞くことになったのでした。
多くの方が受けている安全な手術だとは信じていましたが、
大腿骨を骨頭ごと切り取って、その残った大腿骨の中心の穴に人工股関節を突っ込み、
骨盤側の受け皿を骨盤にネジで固定する。
私には気が遠くなるような恐ろしい内容に聞こえました。
手術の所要時間は数時間、その後2週間程度の入院が必要だそうです。
一度家に持ち帰って、さてどうしよう、と考えました。
仕事も住まいも神戸なので、このままこの先生のところで手術を受けるのが普通なのだとは思いました。
が、安全な手術とはいえ、万一何が起こるかわかりません。
もし何かあったら、娘も弟夫婦も東京なので、東京から来てもらうのも大変です。
だったら、私が東京に行って手術を受けるのがいいのではないかと思いました。
何も起こらないにしても、遠い神戸の病院のことを思って心配してもらうより、目の見えるところにいると思ってもらった方が、家族としても安心なのではと思ったのです。
当時娘は都内の看護大の4年生でした。
その看護大の隣には大きな病院が併設されています。
というか病院の敷地内に看護大がある、といった方が正しいのですが、その病院で手術は受けられないだろうか。
9月27日、神戸の先生にそう相談させてもらいました。
事は意外と簡単に進み、すぐ東京の病院に連絡を取って10月2日に予約を入れてもらい、紹介状やデータまで揃えて渡してくれました。
10月2日、紹介状とデータを持って東京の病院へ
その頃には痛み止めを使っても痛みがおさまらず、寝ていても痛いという状態でした。
股関節という体内からの痛みなので、ここが痛い、という具体的な場所がはっきりしないことが多いのですが、腰が痛いと感じることも、太ももが痛いということも、膝が痛いと感じることもありました。
体の中からじわじわと湧いてくるような、陣痛の痛みにも似ているようにも思います。
我が家からJRの最寄り駅まではゆるーい上り坂で5分程度、しかも上り坂といってもふだんは坂だと気づかないくらいのゆるい坂道です。
しかしこのゆるい坂道がこの頃には痛みで登ることができないくらいになっていました。
時間はかかりますが、近くのバス停からのバス通勤に変えました。
しかしそれすら辛くなったので、手術までの残りの数週間は在宅勤務をさせてもらうことにしました。
臨機応変に対応してくれた会社には本当に感謝です。
そして10月2日、紹介状とデータを持って東京の病院を訪ねました。
手術は10月19日に決定 自己血輸血も済ませ入院に備えるのみ
10月2日に東京の病院を訪ねると、レントゲン、その他一連の検査のあと、先生との面談がありました。
右の股関節は変形が進んでいてかなり悪化しているとのこと。痛いわけです。
人工股関節置換手術を勧められました。
すでに覚悟はできていたので手術を受けることに決めました。
左の股関節は右に比べてもまだそれほど進行していないので、今すぐ手術が必要とは思わない、
ただいずれはすることになるとは思います、とのこと。
実際、右の痛みに気を取られているせいかもしれませんが、左側の痛みはそんなに感じません。
結果、10月18日に入院、19日に右股関節手術、約2週間の入院をすることに決まりました。
18日は入院だけすれば良いようにするために、翌日もう一度病院に来て自己血輸血のための採血をすることになりました。
それが済めば、後は入院の準備をして19日の手術に備えるだけです。
入院準備…といえばパジャマ作り!
ということで、どうせ入院するなら自分の好きなパジャマでと思い、パジャマ作りに取り掛かりました。
ムフフ・・・出来た!土曜日の朝から無心に入院用パジャマ3組(^o^)
年初から足の付け根に痛みがあり通院を続けても改善しないので再検査してみたら、17年前の交通事故の後遺症で大腿骨が壊死する病気になっていました どうりで痛いはず~()
生きているのに壊死ってどういうこと~?と叫んだところで治るものでもないので、人工股関節に全置換手術することに決めました
まな板の上の鯉の心境で、17年ぶりの入院に備えてパジャマ作り。中学の家庭科のパジャマは母に丸投げしたの、思い出します(笑)
(つづく)