上野三昧ついでに初めて寛永寺に行ってみました!
上野のパンフレットを眺めていたら
GW後半、楽しみにしていたマティス展へ。
その話はこちら:今年の楽しみの1つ!東京都美術館・マティス展へ!
マティス展はこちら:https://matisse2023.exhibit.jp/
その後も美術館のはしごをして国立西洋美術館のブルターニュ展へ、
その話はこちら:ガイドは杏さん!憧憬の地・ブルターニュ展@国立西洋美術館
ブルターニュ展はこちら:https://bretagne2023.jp/
と、上野三昧の1日を過ごしました。
確かマティス展を開催中の東京都美術館でもらったのだと思いますが、
「上野の山文化ゾーン」というパンフレットをもらいました。
それを眺めていたら、よく来ている上野の美術館以外にも面白そうなところが載っています。
例えばこちらの「旧岩崎邸庭園」。
三菱の第3代社長の岩崎久彌氏の本邸として建てられたのだそう。
そしてこちら「横山大観記念館」。
大観が実際に暮らし、名作を生み出した邸宅と庭園を、
当時のままに公開しているのだとか。
どちらも初めて知りました。
ブルターニュ展の後に行ってみたいと思いましたが、
どちらも不忍池の向こう側にあるので、
閉館時間までに時間的に間に合いそうもありません。
次回の楽しみにしたいと思いますが、
地元のこういうパンフレットには知らない情報満載で楽しいです。
そこでもう1ヶ所気になったのが「寛永寺」。
名前ばかりよく聞きますが、実際にお寺を訪ねたことがありません。
西洋美術館からも近そうなので行ってみることにしました。
寛永寺とは?
正式には東叡山寛永寺というそうです。
東叡山寛永寺は、寛永2(1625)年に、幕府と万民の平安・安泰を祈る祈願寺として、
慈眼大師天海大僧正によって創建されました。
山号は「東の比叡山」の意、寺号は寛永年間に創建されたから。
後に、第四代将軍・徳川家綱公の霊廟が造営され、
将軍家の菩提寺も兼ねることとなります。
また東叡山主に皇族(輪王寺宮) を迎え入れたことにより、
江戸時代の寛永寺は格式と規模において日本屈指の大寺院となりました。
しかし幕末の上野戦争で被災し、敷地の大部分は明治初期に上野公園となります。
太平洋戦争後は新たに霊園を造営し広くお檀家を受け入れるなど、
伝統を守りながらも多くの人々に親しまれ今日に至っているそうです。
根本中堂(こんぽんちゅうどう)
元禄11 (1698)年に建立された当初の根本中堂は、
慶応4 (1868)年、上野戦争の際に焼失してしまったそうです。
現在の根本中堂は、
まず明治12年に川越喜多院の本地堂(寛永15(1638)年に三代将軍家光公が建立)を大慈院(今の寛永寺)の地に移築し、
上野戦争で焼失を免れた東照宮の本地堂の用材も加え、間口十間の本堂として再建されたのだそう。
秘仏ご本尊の薬師瑠璃光如来は、天台宗を開かれた伝教大師・最澄が自ら彫られたと伝えられているそうです。
国指定重要文化財・徳川歴代将軍御霊廟は特定日のみ公開!
寛永寺に祀られている将軍は
四代家綱公
五代綱吉公
八代吉宗公
十代家治公
十一代家斉公
十三代家定公。
徳川将軍を祀る「御霊廟」は、特定日のみに公開されているそうです。
寛永寺はこちら:https://kaneiji.jp/#gsc.tab=0
上野公園が寛永寺だった!
この地図をみると、上野公園の中に寛永寺があるのではなく、
上野公園そのものが寛永寺の敷地に造られた、というのを目の当たりにした感じです。
五重塔、釈迦堂、観音堂など、
まだまだお寺としてみてみたいところがいっぱいあります。
まとめ
上野のパンフレットを見ていたら、色々行ってみたいところを見つけました。
その中の1つ、寛永寺へ。
今まで上野イコール美術館&博物館という気持ちでいましたが、
地図を見ると上野公園自体が寛永寺の敷地に造られていることを目の当たりに。
お寺として見てみたい所がたくさんあることに気づきました。