気がつけばあっという間の2時間半!子規博が面白い!

子規記念博物館

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気がつけばあっという間の2時間半!子規博が面白い!

短歌にも写生の考えを貫き、英語も使っちゃう!

子規博

写生という概念を俳句に取り入れ、俳句は文学だと考え作った人の気持ちや、その時の様子が想像できる俳句を作ろうと呼びかけた子規。

その考えが広まり、ついには雑誌ホトトギスが発行されるまでになりました。

そんな中、子規は俳句にとどまらず短歌の研究にも取り組んでいます。

この頃の短歌は、1000年以上も前の平安時代に作られた「古今和歌集」を手本にした歌ばかり作られていたそうです。

子規は、そんな真似ばかりしているのはくだらない。

もっと身の回りにある題材を探して、自分が見たことや感じた子をもっと自由に作るべきだ、とここでも写生の考え方を貫きました。

そして自分は上品な言葉も、普段使う言葉も、外国の言葉も、短歌に使うと宣言したそうです。

古今和歌集を批判したことで避難もされたそうですが、子規のすごいところは周りの声に一歩も引かずに自分の考えを貫いたところです。

そのうち賛同者も増え、自分の家に集めては歌会を開いたそうです。

その時の様子を描いた絵がこちら。

これは面白いですね。

初めての人たちとの会議など、名前と顔を覚えるのにいいかもしれません。

文章の革新!写生文を作ろう!

子規博

俳句、短歌と写生の概念を取り入れた子規は、文章にも写生文を作ろうと行動します。

33歳の時には写生文の書き方や良い点を紹介した「叙事文」という文章を発表しています。

そして俳句や短歌の仲間たちと写生文の勉強会を開きます。

「文章には山(盛り上がるところ)がないといけない」と子規が言ったことから、この会は山会と呼ばれました。

山会は子規が亡くなった後も仲間達によって続けられたそうです。

夏目漱石のデビュー作「吾輩は猫である」を初めて発表したのもこの山会だったとか。

今私たちが書いたり読んだりしている文章の始まりが写生文だと考えると、子規の功績は本当に偉大です。

病床でも書き続けた随筆が生きる力に

子規博

子規博ガイドシートから

33歳の頃から子規の病気はさらに悪化して、ほとんど寝たきりになってしまいます。

それでも子規は病床で書き続けました。

「墨汁一滴」と「病牀六尺(びょうしょうろくしゃく)」などの随筆です。

これらは新聞「日本」に掲載されました。

編集長の古島一念が病気の子規を心配して一度だけ連載を休みにしたことがあったそうです。

自分の連載が載ってないことを知った子規は、自分の命はその随筆にあるのだと連載を願う手紙を出したとか。

それから子規の文章は、亡くなる2日まで休まず掲載されました。

31歳の時に書いた墓誌銘

子規博

子規博ガイドシートから

墓誌銘とはお墓に彫るための文章です。

子規は31歳の時に、自分はお墓も墓誌銘もいらないが、もし書くならこうして欲しい、とこの墓誌銘を残したそうです。

正岡子規またの名は処之助 またの名は升(のぼる) またの名は子規

またの名は獺祭書屋主人 またの名は竹の里人

伊予松山に生まれ東京根岸に住す 父隼太松山藩御馬廻加番たり卒す

母大原氏に養わる 日本新聞社員たり 明治3○年○月○日没す 享年3○ 月給40円

ユーモアと誇りと悲哀に満ちた墓誌銘です。

絵も上手!書くことも描くこともエネルギーに

子規博

子規博ガイドシートから

子規は病床でたくさんの絵を描いています。

子供の頃から絵を描くことが好きでした。

32歳の頃、あの写生の概念を教えてくれた画家の中村不折に絵の具をもらったそうです。

当時はとても珍しいものでした。

病床では起き上がることができない子規は、寝たままで絵を描いたといいます。

こちらはその中村不折が描いた子規の様子。

子規博

子規博ガイドシートから

寝たままで絵を描く姿が描かれています。

ただ絵を描けるのは薬が効いて痛みのない時だけだったそうです。

題材は身の回りにある小さくて色の綺麗なもの。

それを枕元に置いて写生しました。

とうとうその日が…。明治35年9月19日。

子規博

子規博ガイドシートから

21歳の時から病気と戦い続けた子規の最後がやってきます。

明治35年9月19日、34歳と11ヶ月の短い一生を終えました。

最後に作った三句の俳句・絶筆三句は、子規がなくなる数時間前に書いたものだそうです。

家族や仲間に助けてもらい、寝たままで俳句を書いたとか。

その三句はどれもヘチマの俳句なので、ヘチマ三句と呼ばれています。

このことから子規の命日の9月19日はヘチマ忌というそうです。

子規が25歳の時に松山から東京に呼んだお母さんの八重と妹の律が、最後まで子規の病気の世話をしたそうです。

子規博

子規博ガイドシートから

東京に来てから何度も引っ越した子規ですが、最後に住んだのは上根岸でした。

子規庵と呼ばれたこの家には、色々な人が子規を訪ねてきたそうです。

夏目漱石や伊藤左千夫もその1人です。

子規庵では子規が亡くなった後でも仲間たちが句会や歌会を開いていたそうです。

戦争で焼けてしまった後も、弟子たちが立て直し今も大切の保存されています。

子規庵はこちら:https://www.shikian.or.jp

まとめ

正岡子規という人間が本当に興味深くて、ついつい夢中で見てしまいました。

どんどんその魅力に引き込む展示が素晴らしい博物館です。

気がついたら2時間半。子規博、いいです!

 

 

 

 

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