「人間・正岡子規」の生涯を追い、その魅力に引き込まれる素晴らしい展示!
ここにあったとは!湯築城に導かれて子規記念博物館へ!
愛媛の旅は元々は西条市にある民藝美術館に行くのが目的でした。
その話はこちら:旧陣屋跡のお堀の中の素敵な空間!愛媛民藝館へ!
愛媛県には日本100名城が5つもあります。
どうせ行くなら全部回りたい!と思い、民藝プラス城の旅に。
西条から今治城へ、今治から松山を経由して大洲城、宇和島城へ。
そしてまた松山に戻って松山城、そして湯築城跡を訪れたのでした。
湯築城跡は、時間がなかったらスキップしようとも思っていました。
正直、愛媛県美術館の後、湯築城跡に向かうか、それとも「坂の上の雲ミュージアム」に行くか迷いました。
時間的には湯築城へ行ってすぐ戻れば、坂の上の雲ミュージアムを見る時間もありそうだったのと、市電にも乗ってみたかったので湯築城を目指しました。
湯築城の話はこちら:日本100名城・湯築城跡は貴重でまれな中世の城遺産!
お城を一周して、さて市電で松山市に戻って坂の上の雲ミュージアムへ、と思ったところでこの正岡子規記念博物館の真前に。
正岡子規の博物館があることは知っていたのですが、まさかここにあったとは!
松山ではむしろ「坂の上の雲ミュージアム」に行こうと思っていたので、詳しい場所とか調べていませんでした。
でも目の前にあるのに素通りはできません。
入ってみることにしました。
そうしたら、この博物館、人間・正岡子規の生涯を追う、本当に素晴らしい展示の博物館だったのです。
導いてくれた湯築城に感謝です!
子規記念博物館はこちら:https://shiki-museum.com
丸ごと子規がわかる!わかりやすくて見やすい展示!
子規記念博物館の展示は2階と3階。
パネル、資料、動画、復元セット、その他ありとあらゆる手段で、とてもわかりやすく面白い展示が行われています。
音声ガイドプログラムもあり、耳から、目から、指先から、至れり尽くせり。
展示は子規よりもっと前の「むかしの松山」から、35歳で亡くなるまでの子規の人生を時系列で進んでいきます。
むかしの松山
愛媛の由来!
ずっと昔の神話の時代、愛媛県は「美しい姫神」という意味の「エヒメ」と呼ばれていたそうです。
香川は穀物の男神・イイヨリヒコ、徳島は穀物の女神・オオゲツヒメ、高知は立派な若者神・タケヨリワケだったそう。
道後温泉の始まり!
伊予の湯の始まりにはサギが足の傷を治しにきたお湯、
スクナヒコナノミコト神を生き返らせたお湯、という2つの話があるそうです。
そんな病気を治したり、生き返らせたりする不思議な力のあるお湯ということで、昔から天皇や万葉集の歌人たちも訪れていたとのこと。
聖徳太子、舒明天皇、斉明天皇、額田王(ぬかたのおおきみ)、赤部山人などなど。
こちらは額田王の万葉集の歌
熟田津(にきたつ)に 船乗りせむと 月待てば 潮も叶ひぬ 今は漕ぎ出でな
訳:熟田津で船出をしようと月を待っていると、満月が南の空に来た。潮の流れも九州へ向いた。全てが叶った。さあ今こそ漕ぎ出そうぞ。
中世にはあの湯築城の河野氏が活躍!
1200年〜400年くらい前に、伊予では河野氏が活躍しました。
河野氏は水軍を率いて瀬戸内海をおさめ、道後温泉の近くに湯築城を作り、伊予国の政治や文化の中心がここにありました。
あの踊り念仏の一編上人は河野一族の子!
一遍上人は1239年、松山で生まれました。
河野一族の子供でしたが、出家して仏教の道に進みます。
踊りながら念仏を唱える踊り念仏を広め、盆踊りの発祥と言われています。
江戸時代・文芸のさかんな城下町!
江戸時代、城下町として栄えた松山。
松山藩を収めた松平家の殿様たちは俳諧や書道、絵画や能楽など文芸を大事にしたので、松山は江戸時代から文芸の盛んな街に。
愛媛県美術館で見た「吉田蔵澤(ぞうたく)」も江戸時代の松山藩士。
あのワークライフバランスの祖です。
その話はこちら:珠玉のコレクション!愛媛県美術館でブーダンに出会う!
子規も蔵澤の墨竹画が大好きだったのだそうです。
子規の子ども時代!幼名は「升(のぼる)」
ちょんまげ姿の「のぼさん」
子規の本名は正岡常規(つねのり)で、最初の幼名は処之助(ところのすけ)でした。
その後、升(のぼる)と変更して、みんなから「のぼさん」と呼ばれるようになります。
NHKの傑作ドラマ「坂の上の雲」を思い出します。
大人になってからも家族や友達から親しみを込めて「のぼさん」と呼ばれていました。
子規の家族
子規の父・正岡恒尚(つねなお)は松山藩の武士でしたが、子規が5歳の時に病気で亡くなります。
母の八重は常尚が亡くなった後、子規と妹の律を育てます。
妹の律は子規よりも2つ年下ですが、小さい頃からお兄ちゃん思いで、いつも子規を助けていました。
病気の看病も献身的にしていた姿(ドラマでですが)が忘れられません。
菅野美穂ちゃん、よかったなぁ…。
お祖父さんの大原観山は松山藩の学者でした。
子規に漢文を教え、この祖父の教えで子規も子供の頃「ちょんまげ」を結っていました。
ちょんまげを切った時の照れた顔が(またしてもドラマでですが)忘れられません。
つづく
まとめ
行くつもりはなかったのに湯築城が導いて来れたおかげで、子規記念博物館の素晴らしい展示と出会うことができました。
人間・正岡子規の一生を追いながら、その魅力に引き込まれます。
子規の話に入る前に沢山書いてしまったので、この続きはまた。