還暦でやりたかったこと、その3は還暦で黒留袖です。
浴衣は毎年新調するくらい大好きだったのですが、着物には全く興味がなくて、というか、興味を持たないようにしていたというのが近いと思いますが、その世界に入ったら抜けられなくなるのが怖くて着物は着ないと決めていました。
母が処分しても仕切れなかった、おそらく思い入れがあったであろう着物たち
新潟は着道楽の文化なのよ、と常々言っていた母が、何度も私の着物着ない?と言ってきましたが、着ません!と突っぱねていたのです。
こちらでも書きましたが、
その母が2016年7月、交通事故で突然この世を去りました。
事故なので予測もつかない出来事だったのですが、母は何かを察していたのかと驚くほど、事故の直前に不要の着物を処分したり、潰した端切れで小物を作ったり、引き取りの依頼をしていたり、終活を進めていました。
訃報を聞いて神戸から新潟に駆けつけた私が実家で母の部屋を整理していた時、母が自ら引き取り査定を頼み訪問予約をしていた業者さんが、母の事故のことなど何も知らずに訪ねてきたのには驚きました。
そうやって沢山の着物を処分していた母ですが、さすがに処分するに忍びない着物があったようで、それは箪笥にそのまま残されていました。
とはいえ、こちらも母の葬儀の準備や父のことでてんてこまいの真っ最中。
中身の確認は後回しにしてしばらくそのままに放置していました。
父のこれからのことも決まり、少し落ち着いた後に、チラッと目につくものだけ引っ張り出して、この帯はバッグにしようかな、とか、この着物でコートを作りたい、など、着物として着ることよりも、切り刻んで何か他のものを作ることを考えていました。
でもそれさえ実行することはなく、母が処分仕切れずに遺した着物はしばらく手付かずで積んだままでした。
しばらく積まれたまま放置 そしてやっと日の目を見る
2017年12月、父が亡くなった翌年の夏、両親が住んでいたマンションを整理して、市の中心部のマンションに移りました。
私はその頃神戸に住んでいましたが、父の介護で神戸と新潟を往復する中で、仕事を辞めたら新潟に住みたいという気持ちがだんだん強くなっていました。
父の葬儀や49日などが終わったそのタイミングで、住んでみたいと思ったマンションが売りに出ているのを見つけ、気持ちが固まったのです。
見つけたのは信濃川沿いの古いマンションです。
下見させてもらった3LDKの間取りは古いマンションらしく天井も低くこまごまとしていましたが、14階からの眺めは最高です。特に山が見え眼下にはゆったりと流れる信濃川。
この景色を眺めて暮らせるなんて、最高の幸せだと思いました。
リノベーションの話はまた改めてしたいと思いますが、こまごま区切られた間取りは全部取っ払って、大きなリビングにリノベーションしてここに住みたい。気持ちが固まった瞬間です。
リノベーションも終わり、仏壇と大きな鏡、そして母の残した着物だけを両親の住んでいたマンションから移して、ようやくこの着物に日の目が当たることになりました。
リノベーションでリビングに洋裁三昧仕様の棚と作業台を作ってもらったその棚に母の着物をとりあえず置いておきました。
他に荷物もないがらんとした状態ですから、唯一積まれた着物が目立ちます。
右の棚に積まれているのが母が遺した着物や帯
母の着物を救ったMさんの言葉
ここにMさんが訪ねていらした時、母が遺した着物だとお伝えすると「お着物、見てもいいですか?」とおっしゃってくださったのがこの着物たちへの救いの一言でした。
デザイン的に素敵、とか、色が好き、とかそういうことはわかるけど、素材とか格付けとか着物のことなど何もわからない私には着物としての価値というのが全くわからないまま、でもそう言ってくださるなら着てみようかな、と思わせてくれる一言でした。
それから母の着物と帯の中から、一つずつ選んでは着るようになりました。
その中でも色と柄がとても気に入っていて、でもそうそう着る機会のない着物がありました。
それがこの黒留袖です。
そして今回定年退職を迎えるに当たり、お世話になった皆さんにちゃんとお礼を伝えるご挨拶をしたいと思った時、真っ先に浮かんだのがこの着物でした。
そしてMさんに伝えたのです。
こうして思いが形になりました。