和歌山市の街歩きツアーガイド・智子さんと和歌山城を目指す!

和歌山市街歩きツアー

智子さんのHPより

目次

和歌山市の街歩きツアーガイド・智子さんと和歌山城を目指す!

いよいよ和歌山市内散策の日!お天気も良さそうです!

新潟空港

2周目の日本全県めぐりの旅もいよいよ最後の県、和歌山です。

人が戻った新潟駅では久しぶりに須坂屋さんに寄りました。

新潟空港から伊丹空港に飛び、伊丹空港からリムジンバスで新大阪へ。

新大阪からはJR特急くろしおに乗って、和歌山駅に初上陸。

和歌山駅からは30分、和歌山城にご挨拶がてら歩いてホテルへ到着。

コンビニに行くつもりが灯りに導かれて和歌山市駅の駅ビルへ。

何気に頼んだ舟盛りが安くて美味しくてびっくりしました。

和歌山市街歩きツアー

さていよいよ今日は和歌山市内の街歩きです。

和歌山には神戸に住んでいた頃何度も来ていますが、

いつも白浜やアドベンチャーワールドにばかり行っていて、

ちゃんと街歩きをしたことがありません。

今回の和歌山旅、どこに行こうと考えた時、まず和歌山市を歩こうと思いました。

県庁所在地だし、県立美術館があるはず、というのが最初の発想です。

そして思いついたのが、今年の初め、京都に旅行の勉強をしに行った時、

先生が話していた和歌山の街歩きガイドさんのこと。

せっかくだったらその方にガイドをお願いしようと思いました。

街歩きのガイドは智子さん!今回の旅の目的は彼女のツアーに参加すること!

今宮神社

1月の研修の後の今宮神社

1月に先生が紹介してくれたURLがあったので、そちらからツアーの申し込みをしてみました。

自己紹介をして、先生からURLを聞いたこと、

2月の後半に和歌山に行く予定があるのでツアーに参加したいこと、

ツアーが2人設定からなので、一人参加は難しいかの質問、

などを投げかけてみました。

早速お返事をいただき、一人料金を出してみるとのこと。

その後、料金設定、申し込み、お支払いと手続きをして、いよいよ当日、というわけです。

最初、先生の話から勝手におじさんだと思い込んでいたのですが、

やりとりをするうちに女性だということがわかり、

そしてこの日、和歌山駅で待ち合わせて初対面です。

和歌山市街歩きツアー

私はホテルから駅までまた30分ほど歩いて向かいました。

昨日の写真スポットでお城と記念撮影!いい天気の街歩き日和です。

ちょっと早めに和歌山駅に着きましたが、智子さんはすでにガイドの旗を持って立っていました。

おじさんではなく女性とわかった後も、何となく逞しい方を勝手に想像していたのですが、

初めてお会いする智子さんは、とても華奢で小柄で繊細な感じの素敵な女性でした。

お互い自己紹介をしてから和歌山城の向かいました。

智子さんのガイドツアーはこちら:https://wakayama-kankou.jp

何と!ここが大手門だったんだ!

和歌山市街歩きツアー

和歌山駅から和歌山城にはバスで向かいます。

ですよね、いくら街歩きって言っても、移動にバスも必要です。

特に、ちょっと見ただけでこれはスケールの大きな街だとわかる和歌山市を1日かけて歩くとなれば。

和歌山市街歩きツアー

2番乗り場から乗ったバスを和歌山城前で降りました。

ここは昨日、和歌山駅に着いてから徒歩でホテルに向かった時に通ったところ。

和歌山市街歩きツアー

撮影ポイントで写真を撮った手前のところに確かに門があったのですが、

まさかここが大手門だったとは!

それもそのはず?

築城当時は違う門(岡口門)が大手門だったのを、その後この場所に橋をかけ、大手門としたのだそうです。

和歌山城とは

豊臣・桑山時代

和歌山市街歩きツアー

和歌山城は、天正13年(1585)、 羽柴 (豊臣秀吉が紀州を平定し、

弟の秀長に命じて岡山 (虎伏山)の峰に創建しました。

あの藤堂高虎らが普請奉行を勤め、高虎が手がけた最初の本格的な近世城郭だそうです。

秀長は大和郡山城を居城としていたので、桑山重晴が城代を勤めました

秀長家が絶えると、桑山氏が城主となります。

豊臣・桑山時代に山上部分や岡口(先ほどの最初の大手門のあったところ)の整備がなされました。

浅野時代

和歌山市街歩きツアー

慶長5年(1600) 関ヶ原の戦いの後、浅野幸長が37万6千石の領主となり、城の大規模な増築を行ないます。

連立式天守閣を建て、現在の本丸・二の丸・西の丸に屋敷を造営したのもこの時代。

大手を岡口門から一の橋の門に変えたのもこの時代です。

そうすることで、本町通りを大手筋として城下町を整備したのです。

徳川時代

元和5年(1619)、徳川家康の十男・頼宣(よりのぶ)が55万5千石を拝領して入国し、

紀州徳川家が成立することになります。

二の丸を拡張するため西内堀の一部を埋めたて、南の丸・砂の丸を内郭に取り入れ、

ほぼ現在の和歌山城の姿となりました。

紀州徳川家は、「南海の鎮(しずめ)」として西日本を監視する役割を担い、

あの八代将軍吉宗、十四代将軍家を輩出したのです。

その後

明治4年(1871)の廃藩置県により、 和歌山城は陸軍省の管轄となりました。

明治34年には和歌山公園として一般に公開され、昭和6年(1931)に史跡に指定されています。

和歌山城はこちら:http://wakayamajo.jp/index.html

まとめ

日本全県めぐり2周目・最後の県は和歌山県。

和歌山ではどこに行こうと考えていた時、

京都の師匠のお弟子さんが和歌山にいることを思い出し連絡してみました。

和歌山市で街歩きガイドツアーをしている智子さんです。

この日は初対面の智子さんと和歌山城から街歩きをスタートしました。

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