昭和レトロな人情横丁!その歴史を調べてみた!
人町横丁とは?
先日のほんちょう日曜マルシェでの佐渡おけさ体験会。
その様子はこちら:昼呑み天国⁈本町マルシェで「佐渡おけさ」!
このマルシェは毎月最終日曜日に、
「新潟の台所」と呼ばれてきた新潟市本町エリアである
「ぷらっと本町」と「人情横丁」で行われるイベントです。
ほんちょう日曜マルシェはこちら:https://niigata-hitotsunagi.com/honchomarche/
ぷらっと本町は本町6番町の商店街のことです。
鮮魚店、生花店、団子屋さん、昼呑みできる居酒屋さんなど、
下町的で庶民的なお店が散在していて、
道路脇には八百屋さんなどの露店も並んでいます。
今はイトーヨーカドーになっている私の御用達・丸大デパートもこの中にあります。
ぷらっと本町はこちら:https://www.honcho6.com
一方、人情横丁はこの本町6番町の商店街と道路をはさんで
地図の赤丸の部分、細長い商店街を形成している地域です。
ここの下町の雰囲気満載で、浜焼きといって魚を炭で焼いているお店や、
ラーメン店、かき氷店、などなど、新旧入り混ざった個性的な商店が並ぶ商店街です。
人情横丁は堀の上の商店街だった!
本町中央市場と言われる人情横丁ができたのは1951(昭和26)年10月。
私の10歳上、ということは今年72歳になるのですね。
新潟はかって堀と橋の町で、
人情横丁があるこの地も堀が通っていました。
1650年代半ばころ、旧新潟町が現在の市街地に移転し堀が作られ、
寺町堀(今の西堀)・片原堀(今の東堀)が信濃川に並行して通り、
この2本の堀を結んで東西に白山堀・新津屋小路堀・広小路堀・御祭堀(五菜堀)が、
少し遅れて新堀が掘られました。
1875(明治8)年の記録によると、当時の新潟町の堀は27本延べ約12キロもあり、
堀に架かる橋は1883(明治16)年で133本あったそうです。
川幅の広い白山堀には米が運ばれ、
新津屋小路堀は野菜などが入り、
新津屋小路堀を挟んだ本町通で朝市が立ち、
農家の女性たちが野菜や穀類を売っていました。
戦後、埋め立てられて本町の露天商が開店した!
戦後、新潟市は衛生上の問題や増大する自動車交通に対応するため
堀の埋め立てを行いました。
二番堀と他門川の間を埋めた跡地に、
本町通で商いをしていた露天商たちがここに移転して店を開きました。
これが人情横丁の始まりだそうです。
現在、人情横丁には新津屋小路の約160メートル沿いに30数店舗が並びます。
買い物やおみやげ、旬の食材や干物・乾物、茶・菓子・雑貨に至るまで手に入り、
食事ができる店舗もあるのが魅力で、地元の人に愛されています。
まとめ
新潟市の中心部、本町6番町にある人情横丁。
本町中央市場とも呼ばれるこの地域は、細長い敷地の中に
鮮魚や乾物、お菓子、雑貨などさまざまなお店が並び、
ラーメン、お寿司、カフェなどの飲食店も多く入っています。
ここは昔、堀だった場所なのだそうです。
その埋立地に、本町で露店を出していたお店が移転してお店を開いたのが始まりなのだそうです。
ブラタモリでも紹介された新潟市のランドマークの1つです。