北越屈指の豪農の館!市島邸に行ってきました!
市島家のルーツは丹波!
平日は新発田市で暮らしています。
新発田の話はこちら:新発田駅周辺を歩いてみました!
今日は新発田市の市島邸に行く機会がありました。
市島家は北越屈指の豪農です。
福島潟の干拓を中心に蒲原平野の開発につとめ、ついには県内有数の大地主となった市島家。
その栄華の名残を拝見できるのが、この市島邸です。
市島家のルーツはもともと兵庫県の丹波にありました。
神戸にいて、丹波篠山などが身近だっただけに、兵庫県というだけでご縁を感じてしまいます。
その後加賀に移り住んだ市島家は、関ヶ原の合戦の2年前、1598年(慶長3年)に主人の溝口家の新発田移封に際し、加賀の大聖寺から一緒に新発田に移り住み、段々と栄華をきわめていきました。
市島宗家は当初、五十公野(いじみの/現新発田市)に住んでいました。
その後、水原に移り、福島潟の干拓を中心に蒲原平野の開発に努めたといいます。
そして、ついには県内有数の大地主として、北越屈指の豪農となりました。
その後、戊辰の役で水原の邸宅が戦火をうけて焼失してしまいます。
市島家七代徳次郎(静月)は、旧中浦村大字天王の地に移り、新たに現在の市島邸本邸を造営しました。
この邸宅は敷地八千余坪、建坪六百余坪に及びます。
建物の大半は明治初期の代表的住宅建築として簡素優雅な作風を示しています。
これを囲む回遊式の庭園(静月園)は、自然の風致に存し、幽水閑寂で野趣に富み、庭園中の各所に歌碑が建ち、広い池をとりまく樹木はそれぞれの四季を映しています。
1962年(昭和37年)3月、表門、玄関、朔月閣、南山亭、松籟庵、水月庵、説教所など十二棟一構が、新潟県文化財に指定されています。
まとめ
新発田の豪農の館である市島邸。
とてつもなく広く立派な建物と庭園でした。
今年の梅の成長はちょっと厳しそう?
それにしても暑い1日でした!