曹洞宗・常福寺で坐禅体験

下田風景

2ヶ月前の風景

目次

曹洞宗・常福寺で坐禅体験

坐禅体験してきました!

10月中旬より2ヶ月間、

新潟県三条市の下田地区で開講している

滞在型職業訓練・しただ塾に参加しています。

この塾も残すところあと4日となりました。

先週の金曜日には卒業制作の発表プレゼンも終わり、

昨日は英語の授業も最終日。

一つ一つ終わっていきます。

ヒメサユリ栽培のお手伝いをしたり

ひこぜんを作ったり

下田での経験をより深いものに、との主催者の好意から

この日の午前中は近隣のお寺で坐禅体験をしてきました。

お世話になったのは曹洞宗・常福寺

お世話になったのは曹洞宗・常福寺さんです。

しただ塾が開催されている廃校になった小学校からは

車で10分程度。

常福寺

先日宿泊させていただいた嵐渓荘さんの

さらに奥にあります。

冬には2メートルを越す豪雪地帯。

時計、携帯の持ち込み禁止なため、

写真撮影はしていません。

画像はこの2ヶ月の間に撮影した

下田の風景です。

常福寺さんの地図はこちら:https://yaokami.jp/1155824/

この日は教室のすぐそばに白鳥が飛来

下田風景

いつもの朝よりも早めに集合したこの日、

なんと教室の窓からすぐ近くの田んぼに

白鳥の親子が食事にきていました。

ちょうどその前日、塾の同期生たちと

白鳥が田んぼで食事をする話をしていたところでした。

その話を聞いていたかのように

白鳥が向こうから遊びに来てくれたようで

とても幸せな気分になりました。

下田風景

遠くに八木が鼻を臨む教室のこの窓、

2ヶ月間いろいろなものを見せて幸せな気分にさせてくれました。

大きな虹が出たり、

山が靄なのか霧なのか沸き立つような白い蒸気で包まれていく様子や

雪で白くなっていく様子。

役所の人が雪の深さがわかる棒を立てて行ったのも

この地域ならではの光景でした。

そして最後に白鳥を見せてくれるとは!

略式坐禅のお作法

下田風景

坐禅の「ざ」は座ではなく特別に坐と書くそうです。

時計や携帯の持ち込みは禁止。

入室:合掌して入室します。

坐禅の時の座布団のことを座布(ざふ)と言います。

入室したら座布の前に立って壁に向かって合掌、低頭します。

その後半回転して後ろの列の人と向かい合い、再び合掌低頭します。

下田風景

座る:壁の方を向いて座布に座り、お尻と両膝の3点で体を支えるように座ります。

両足を組む結跏趺坐(けっかふざ)、

片足を組む半跏趺坐(はんかふざ)どちらでもいいそうです。

手は、左手の掌を上にして右手の上に重ねます。

体を2、3回揺らして落ち着きのいいところを見つけて座り、

坐禅に入ります。

坐禅の開始:坐禅の開始の鐘が鳴ります。

その後30分程度の坐禅の開始です。

この日は30分のスケジュールで体験させていただきましたが、

長さの目安:目安は一炷(いっちゅう)、つまりお線香1本分程度だそうです。

お線香1本分のことを一炷(いっちゅう)というそうです。

警策法(きょうさくほう):終わり頃に全員の右肩に警策を軽く当てます。

警策が肩に乗ったら、合掌して頭をやや左に傾けて警策を受けます。

坐禅の終了:鐘の合図で坐禅を終えます。

左右に体を揺らしてゆっくりと座を解き立ち上がります。

退室:座布の名札を正面に整え、座布の方向に合掌、反対を向いて合掌して退室します。

その後、本堂に移動し、お経の間にお焼香をして解散となります。

坐禅の心え(和尚さまの下さったメモのお言葉から)

良寛さまが残した言葉

下田風景

江戸後期の出雲崎の禅僧だった良寛さまは

次のような言葉を晩年弟子の貞心尼に残しています。

「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ」

はらはらともみじが散る姿は、今生の別れを告げ

従容と去ってゆく姿を思い起こします。

(従容:(危急の時にも)落ち着いた、ゆとりのある様子)

天と地、生と死、明と暗、裏と表

いずれも天なくば地なく

相対する別のものではない。

万象は刻々と容姿を変え

磁石のように関わり存在します。

楽を楽しみ区を乗り越える喜び。

これを無常と名付けます。

自宅で坐禅を(和尚さまの下さったメモのお言葉から)

昨日の私は今日の私ではない。

下田風景

事象は瞬間に変わり続けるものとして

現実をあるがままに受け入れるべきと示されました。

坐禅は、自分自身の内面を見つける非現実の世界です。

しびれる足、腰が痛い、早く解放されたい

只管打坐(しかんたざ) (禅宗でただひたすら座ること)

下田風景

堪えて身を置く自分

何のため?

意味はありません。ただひたすら座る。

体幹の芯を感じ重力に逆らい

天をつくが如く坐す

座っていると次々と湧いてくる雑念、

空想を追いかけない。

曰く

「仏道をならうというは自己をならうなり

自己をならうというは自己を忘るるなり

自己を忘るるというは万法に証せらるるなり」

道元禅師が永平寺修行僧に示されたお言葉

修行は他を利することで

自我を捨てることである

只管打坐

ひたすら修行に没頭せよ

下田風景

貴重な経験です。

一期一会の気持ちでお座りいただきたい

坐禅は座って何か悟りを得ようとか

不思議な新境地を体験できるとか

期待しない

気持ちを真っ新にして

ただ無心に座る

新たな一歩です。

まとめ

下田風景

ちょうどこの日は「成道会(じょうどうえ)」と言って

お釈迦さまがお悟りを開かれた事をお祝いする日です。

成道会についてはこちら:https://www.sotozen-net.or.jp/ceremony/annual/jodoe

そんな日に坐禅体験ができたのを嬉しく思いました。

坐禅を経験したのはいつぶりでしょうか。

高校の時に所属していた弓道部では

春も夏も冬も

合宿のたびに毎朝坐禅があったのを思い出します。

坐禅の長さや辛さより

その後のお説教の長さと辛さの記憶の方が

鮮明だったりします。

(足袋禁止の坐禅に足袋をはいてきた同期がいて

そのお説教とか…)

その後はこれも多分高校生の時に、

親戚一同で祖父の分骨に行った

福井県永平寺での体験。

それ以来だとすると40年以上ぶりかもしれません。

股関節の手術後の関係で

足はクロスするだけで組みませんでしたが、

30分は思ったよりも早く過ぎました。

何も考えず無になれた気がして

とてもいい経験をすることができました。

和尚さまが自宅坐禅をすすめていらっしゃるように

そんな時間を持つことも大事だと思いました。

下田風景

軽く打ちます、とおっしゃっていた警策は

肩の骨直撃で結構痛かったです笑

オンライン座禅会なるサイトを見つけました:https://www.sotozen-net.or.jp/gyoji/20211207_1.html

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