鳥取市「わらべ館」 2・3階はおもちゃのミュージアム!
1階の童謡ミュージアムを楽しんだ後はおもちゃの世界へ
民藝美術館を訪ねる旅で鳥取に行ってきました。
美術館はこちら:民藝の世界に浸れる素敵な空間!鳥取民藝美術館
大満足の美術館訪問を終えて、鳥取市街地の地図を片手に街を散策、
お城方面を目指して歩く途中で「わらべ館」に寄ってみました。
1階は童謡や唱歌のミュージアムになっていて、ほのぼのとした気分に浸ることができます。
童謡ミュージアムはこちら:鳥取市「わらべ館」 1階は童謡・唱歌のミュージアム!
そしてこの「わらべ館」、2階・3階はおもちゃのミュージアムになっているということで
建物中央の階段を昇って2階に行ってみました。
わらべ館はこちら:https://warabe.or.jp
2階はおもちゃ遊び、おもちゃ作り・イベントが体験できるあそぼう広場!
2階はおもちゃ研究所、あそぼう広場、おもちゃ工房など、実際に触って体験できる施設になっていました。
からくり時計や
木のおもちゃ、
回して動かして遊ぶおもちゃが
たくさん並んでいて
パズルもたくさん置いてあります。
おもちゃ工房では
おもちゃ作りを体験できるワークショップが開催されているようでした。
展示も木のおもちゃが主体で、温かみのある空間になっています。
200名まで収容できるイベントホールや
5000冊以上の本や資料、楽譜などがあるライブラリーもこの階にあるようです。
3階はさまざまなおもちゃに出会えるおもちゃの部屋!
さらにスロープで3階に昇ると、3階はおもちゃの部屋になっていました。
中に入るとたくさんのおもちゃが、郷土玩具・乗り物
正義と冒険・ゲーム・夢とあこがれ
からくりなど、テーマ別に展示されています。
「わたくし寅と発します」の寅たちがかわいい!
入り口入ってすぐ右側にあるギャラリーでは、「わたくし寅と発します」というタイトルで
十二支の郷土玩具展が開かれていました。
各地の寅の干支の郷土玩具が集められていて、
一つ一つ見るとこれがなかなか面白い。
大晦日に「ゆく丑・くる寅」というタイトルのデコ料理を作ったのですが、
その話はこちら:久々のデコ料理は「ゆく牛・くる寅」😃
その時、寅を作るにあたって寅のデフォルメの仕方をちょっと研究したこともあり、
以来、寅には敏感で、可愛くも怖くもなる寅が大好きになりました。
どれも個性的で、ひょうきんな寅、かわいい寅、
めちゃくちゃ面白い。
この赤の布の上にあるのが鳥取の郷土玩具です。
この水色の着物を着たウインクしている寅もとてもユニーク。
人気投票第一位の虎もかわいいです。
わたし的にお気に入りなのは、この前列真ん中で横たわるセクシー寅笑
このゆるく横たわる感じが好きです。
寅の郷土玩具の人気投票が発表されていました。
信夫工芸の「鳥取のえと」が欲しい!
右下の寅2つは「信夫(しのぶ)工芸」店さんのものです。
忍工芸店さんは代々建具屋さんを営んでいて、その技術を利用して初代が昭和21年に創業、
木製工芸品、民芸品、郷土玩具などを作っている工房です。
鳥取初日の夕方、居酒屋を探して街を散策していた時に寄った「まちパル鳥取」で見かけて
とても気に入ってしまいました。
鳥取民藝美術館の隣の民芸品店「たくみ」でも販売されていて、ますます欲しくなります。
市街地地図に工房が記載されていたので、この日訪ねてみたいと思っていたところでした。
おもちゃの歴史絵本・おもちゃ今昔が面白い!
乗り物のおもちゃや、
夢とあこがれ
ボードゲーム
などなどあらゆる種類のおもちゃが展示されていて
懐かしい感じの駄菓子屋も再現されています。
そんな中、壁に沿って時系列で並んでいるおもちゃの歴史絵本が面白かったです。
縄文・弥生・古墳時代
土偶を使って遊んでいます。本当かな?笑
飛鳥時代
蹴鞠(けまり)が中国から伝わったのは飛鳥時代なのだそう。
双六(すごろく)もこの時代に中国から朝鮮半島を経て伝わってきたそうです。
奈良時代
中国から独楽(こま)、凧(たこ)、打毬(だきゅう)などが伝わってきました。
平城宮跡から750年ごろに製作された独楽が出土しているそうです。
おはじきもこの時代に中国からきたとのこと。
平安時代
遣唐使を廃止したことで日本独自の文化が盛んになり、
奈良時代に伝わった様々な遊びも日本独特の子ども遊びに変わったといいます。
源氏物語の中ではおもちゃは「もてあそびもの」とか「あそびもの」と呼ばれているそうです。
小さな紙人形で遊ぶ「ひいな遊び」が行われていました。
蹴鞠が流行したのは平安時代だそうです。
鎌倉・室町時代
活動的で荒々しい武家社会の時代になり、子供の遊びも「印地打ち(石合戦)」や「雀小弓」「竹馬」などの勇ましいものが盛んになります。
雀小弓は子供用の小さな弓のことだそうですが、ひょっとしてスズメとか打っていたのでしょうか。
飛鳥時代に伝わった蹴鞠が、手を使って遊ぶ手毬になり流行。
手鞠は室内で座ってついて遊ぶのだそうです。
室町時代になると「胡鬼板(こきいた)」の名前で羽子板が初めて登場します。
蚊除けのまじないとして蜻蛉(かげろう)に見立てた羽を胡鬼板でついたのだそう。
中国から張り子の作り方が伝来したり、ポルトガルからカルタが伝わってきます。
江戸時代
物を売り買いする商業が盛んになり、町人が力を持つようになると、今まで上流社会のものであったおもちゃが庶民の子供のものになっていきます。
ひな祭りが習慣として行われるようになったり、百人一首が広まります。
手毬も庶民に広まり、それまで座敷でついていたのが立ってついて遊ぶようになります。
いろはかるた、お手玉、竹馬が広まっていきます。
からくりが面白い!
江戸時代の1662年から1673年までの12年間、大阪の竹田機関(からくり)座が竹田からくりを興行して大評判になったそうです。
1730年にはからくりの代表的な本「璣訓蒙鑑草(からくりきんもうかがみぐさ)」が出版・発行されます。
1796年には、土佐の細川半蔵頼直による、からくりの内部の仕掛けを図説した「機巧図彙(からくりずい)」が出版・発行されます。
この本には掛時計、櫓(やぐら)時計、枕(まくら)時計、尺時計など時計の作り方、手遊び物の製法、伝授上下が記載されていて、
手遊び物には、ぜんまい仕掛けの茶運び人形、水銀を応用した五段返り、連理(れんり)返り、竜門の滝、鼓笛(こてき)児童、揺盃(ようはい)、闘鶏、魚釣り人形、品玉人形など9種のからくりが説明してあるそうです。
からくりに水銀が利用されているとは知りませんでした。
そして鯨の髭も使われていたのも驚きでした。
明治・大正時代
外国と自由に交流ができるようになり、ブリキやゼンマイなど材料に高い技術が使われるようになります。
大正時代には日本のおもちゃは大きく発展、ドイツと共に「おもちゃ大国」と呼ばれるようになりました。
和洋折衷の洋間で、女の子は西洋人形着せかえで遊んでいます。
男の子が組み立てているのは馬車の「立板古(たてばんこ)」です。
立板古(たてばんこ)とは
立板古とは江戸時代の錦絵で、おもちゃ絵として広く楽しまれた物だそうです。
錦絵を切り取って組み立てて楽しみます。
組み上げた時の想像以上の立体感、パノラマ感、またその楽しさは格別なものがあるとか。
題材は歌舞伎の芝居や舞台のミニチュアだったり、風景、名所、風物などを模写したものが多かったようです。
かつては1000種類以上のものが作られていたそうですが、大正時代あたりを最後に今ではほぼ消えてしまいました。
昭和時代
戦前
日本のおもちゃ産業は昭和12年にはドイツを抜いて輸出世界1になりました。
が戦争が進みにつれ、この勢いは弱くなります。
金属を使わない木や竹などのおもちゃが作られるようになりました。
戦後
戦後のおもちゃは連合軍の空き缶を利用して作ったジープから始まります。
その後、経済や工業、マスコミの発達と共に発展、様々なおもちゃが作られるようになります。
ママレンジ!懐かしい!
まとめ
鳥取市のわらべ館の2階、3階はおもちゃのミュージアムになっています。
3階のおもちゃの部屋にはたくさんのおもちゃの中に新しい発見がたくさんあって、
現在開催中の「わたくし寅と発します」の郷土玩具の寅のコレクションはとても楽しめました。
また江戸時代のからくり人形の図説本にはびっくり。新たな興味が広がりました。