鳥取市「わらべ館」 1階は童謡・唱歌のミュージアム!

わらべ館

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鳥取市「わらべ館」 1階は童謡・唱歌のミュージアム!

鳥取市街地ぶらり散歩、まずは「わらべ館」へ

鳥取市街地マップ

鳥取への民藝美術館を訪ねる旅、美術館を出て市街地マップを片手にぶらり散策に出ました。

最初に寄った直売所、パレットとっとりで見つけたらっきょうから、

今回の旅でらっきょうを克服したかも、の話をしたところです。

パレットとっとりを出た後、お城方面に歩く途中で「わらべ館」に寄ってみることにしました。

地図の③の印のあるところがわらべ館です。

パレットとっとりのある駅前の本通から、

パレットとっとり

途中袋川に沿って左折して川沿いを歩き、わらべ館のある智頭街道をお城方面に向かいます。

鳥取は32万石の城下町、この案内図が町のあちこちに立っています。

わらべ館

鳥取市中心部を横切る袋川

ちょうど駅前からの本通りと、袋川の交差点に「日本の道100選」の記念碑が立っていました。

わらべ館

橋を渡って左折します。

わらべ館

角に見えるレトロなビルは1階がレストランでした。

元町倶楽部というレストランみたいです:https://tabelog.com/tottori/A3101/A310101/31003812/dtlphotolst/4/smp2/

橋の向こう側はこんな景色が広がっています。

わらべ館へ

左折して川沿いを進みます。

わらべ館へ

年季の入った桜の木が並んでいます。

やはりお花見の名所のようです:https://hanami.walkerplus.com/detail/ar0831e26193/

お隣の橋の上は「きなんせ広場」という広場になっていました。

わらべ館へ

お花見の頃にはステージなどが立って賑わうようです。

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鳥取の名産・因州和紙に関連するお店が並ぶ智頭街道

わらべ館へ

きなんせ広場から智頭(ちず)街道をお城方面に歩きます。

智頭街道はその昔、参勤交代にも使われた街道だそうです。

長い雁木のある商店街になっていて、

歴史のありそうなお茶屋さんや、

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歴史を物語る展示、

わらべ館へ

道の向こうのお店は鰻屋さんでした。

わらべ館へ

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画材のお店が多いのも気になります。

わらべ館へ

わらべ館へ

わらべ館へ

こちらは書道用具のお店でした。

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向こうにはふすまのお店。

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どれも紙に関連のあるお店なのは鳥取が和紙の産地だった歴史と関連がありそうです。

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因州和紙とは

鳥取の和紙・因州和紙のことは平安時代の延喜式にも記載されているそうです。

因幡国から朝廷に紙が献上されたことが記録されていて、因幡国とは今の鳥取県東部のことです。

今でも鳥取市の青谷町と佐治町で紙の生産がされているそう。

書道半紙、工芸紙、染色紙からランプシェードやプリンタ用紙まで幅広い新製品が今でも誕生しているそうです。

わらべ館が近づいてきたようです。

鐘は既に鳴れり・碧川かたとは

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わらべ館の入り口には碧川かたさんという方の「鐘は既に鳴れり」の記念碑があります。

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碧川かたさんは大正・昭和に女性参政権運動に取り組んだ鳥取市出身の婦人運動家だそうです。

鳥取藩家老の娘で、16歳で兵庫県の龍野の三木家に嫁ぎ、

後の詩人・三木露風(赤とんぼの作詞で有名)を生みますが、離婚をして生き別れになります。

その後東京帝大付属の看護師として自立、廃娼運動、足尾鉱毒などの運動を経て、新聞記者・碧川企救男と再建。

大正から昭和初期に本格的に社会運動を展開し、婦人参政同盟や女権社を立ち上げ、機関誌「女権」で「鐘は既に鳴れり」を呼びかけたそうです。

激動の時代にものすごいパワーで女性のために生き抜いた方なのですね。

この方の生涯を朝ドラにしようという動きもあるとのこと。

覚えておきたい名前だと思いました。

わらべ館1階は童謡・唱歌のパラダイス!

わらべ館

わらべ館に入ってみます。

こちらが正面玄関です。

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中は明るい綺麗な建物で、1階が童謡の部屋、2階、3階におもちゃの部屋になっています。

わらべ館へ

ロッカーにコートなどを預けて、受付で500円を支払い、

わらべ館へ

まずは1階の童謡の部屋に行ってみました。

わらべ館へ

1階は昔の小学校のような作りになっています。

わらべ館へ

既に懐かしい唱歌が流れていて、つい一緒に口ずさんでしまいます。

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木造校舎の廊下、

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教室、

わらべ館

階段、

わらべ館

そして突き当たりは音楽室になっていて、

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地元・鳥取出身の音楽家のことが紹介されていました。

永井幸次 西日本最大の音楽学校を作った人

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代表作: 五一じいさん 白うさぎ まわりっこ ささ舟 山びこ 希望 かみなりさま お窓 夕やけ きょうだい 宵の星 春 柿町の朝 象 海へ 一軒家 春の山路 飛行機 山家の雨

田村虎蔵 日本の音楽教育に大きな功績を残した人

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代表作: 大こくさま きんたろう はなさかじじい うらしまたろう 大江山 したきりすずめ 大寒小寒 うさぎ せみ 一寸法師 虫の楽隊 小さき星 青葉の笛 妙義山 うぐいす とんぼつり 海辺 虹 おひなさま 菊の花 山陰鉄道唱歌 お月さま

岡野貞一 詩情豊かな名曲をたくさん生み出した人

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代表作: ふるさと 春が来た 春の小川 おぼろ月夜 もみじ 日の丸の旗 桃太郎 夜の梅 三才女 七つの卵 紫煙る 夕やけ お日さまが見つけたもの 行く春 銀杏散る 雲の秋 雪の上の鴉

「コドモノクニ」の世界展が開かれています

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「コドモノクニ」は大正11年(1922年)に創刊された子ども向けの絵雑誌です。

絵画、文学、音楽という芸術の3大要素を兼ね備えた、高クオリティの大人も楽しめる画期的な雑誌でした。

藤田嗣治、東山魁夷、竹久夢二、中原淳一、野口雨情、北原白秋、西條八十、サトウハチロー、島崎藤村、室尾犀星、内田百閒、横光利一、中山晋平、山田耕筰、本居長世などなど、

名前を見ているだけで驚きの参加アーティストの数々!

「アメフリ」、「兎のダンス」、「雨降りお月さん」など、ここから誕生した名曲も多くあります。

童謡の歴史がまとめられています

わらべ館

大正時代になると、唱歌は童謡へと発展していきます。

こども本来の感覚や心に呼びかける、言葉や私情を大切にする運動が起こりました。

大正から戦前まで 「赤い鳥」

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明治の唱歌に対して、もっと音楽的に豊かで子どもが親しめる歌を作ろうという童謡運動が起こります。

その運動を盛り上げたのが大正7年(1918年)に鈴木三重吉が創刊した児童文芸雑誌「赤い鳥」です。

赤い鳥の成功で、「金の船」「コドモノクニ」「童話」などの新しい児童雑誌が次々に生まれました。

戦後から昭和40年代 ラジオ・テレビの時代へ

わらべ館

童謡歌手や児童合唱団がブームになります。

NHKのラジオ番組からは新しい童謡が生み出され、昭和36年には「みんなのうた」が始まります。

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昭和50年代から平成へ

わらべ館

心の糧としての童謡の必要性が強く叫ばれるようになります。

7月1日が童謡の日と制定されたり、新しい童謡を生み出す試みや童謡サミットの開催、

また童謡、唱歌にゆかりのある人々の記念館の開館などの全国的な取り組みが進められています。

ドレミ♪ランドは歌ったり楽器で遊べるワンダーランド!

わらべ館

使用しているファミリーがいたので写真は撮りませんでしたが、

ドレミ♪ランドでは実際に触って遊べる楽器や

今は中止中のようですが子どもカラオケなどもあって遊べるスペースになっていました。

わらべ館

ドレミ♪ランドはこちら:https://warabe.or.jp/floor-guide-sum/1f-doremi-land/

まとめ

鳥取市「わらべ館」の1階は唱歌・童謡ミュージアムになっています。

懐かしくついつい一緒に口ずさんでしまう音楽が流れる中、

昔の木造の小学校の校舎を舞台に唱歌や童謡に関するたくさんのことが楽しく学べる素敵な空間でした。

全国にある記念館にも行ってみたくなりました。

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