これはオススメ!渡嘉敷島・阿波連の町を“ゆらてぃーく”まちまーい!
旅友の友の畑でシークァーサー狩り!
カメカメハウスで泊港で買ってきたかまぼこおにぎりの昼食を取り、
その話はこちら:海上荒れ模様!行き先の順序を変更して、まずは渡嘉敷島へGO!
今回の旅友Kさんの友人でこの渡嘉敷島に住むZさんの畑?というか山?でシークァーサー狩りを体験させてもらいました。
カメカメハウスまで迎えに来て下さったZさんの車で走ることおよそ12分。
Zさんの奥様、そしてZさんの山羊に出迎えられて車を降りました。
ここから歩いてシークァーサーの畑まで行きます。
道端に島唐辛子を見つけました。
こんな風になっているのですね。
この道の先の山の中腹の、あのちょっと窪んでいるあたりにシークァーサーの木があるのだそう。
もう見えるでしょ?と言われたのですが、私には全く見えませんでした。
ちょっとした山道を進んで、だんだんなっている実が見えてきました。
斜面を登って実のなっている木の枝を引っ張ってハサミで切って実を取るのですが、
下から見ていると実のある枝がわかるのですが、登って近づいていくにつれてどこに実があったのかわからなくなってしまいます。
最初のうちは本当に下手くそでなかなか取れませんでした。
見かねてか、Zさんが遠くの枝を切る長いハサミでとってくれた実を頂戴していました。
あのハサミって切るだけでなく、切った実の枝をはさめるようになっているんですね。
テレビショッピングでしか見たことないので、ちょっと感動しました!
山にはシークァーサーの他にオートゥというみかんもなっていました。
オートゥとは
オートゥって今回沖縄に来てから初めて知りました。
ここへ来る前に寄った大宜味の道の駅で見かけていました。
この写真の一番手前ですね。
この時の話はこちら:天然素材で描く「やんばる」の動植物!菊田一朗「やんばる屏風展」
オートゥとは、昔から沖縄の人に愛されてきた沖縄みかんだそうです。
Zさんが例のハサミで取ってくださり、その場でむいていただきました。
見た目の酸っぱそうな感じとは裏腹に、結構甘くて美味しい!
11月から12月が旬なのだそうです。
小一時間、シークァーサー狩りを楽しんだでしょうか。
気がつくと斜面登りも慣れてきて、気がついたら結構上まで登っていました。
いただいた袋も重たくなってきました。
果物狩りは楽しいですね!いい経験をさせていただきました。
Zさん、ありがとうございました!
帰り道、色鮮やかな花を見て沖縄らしい!と思ってしまいましたが、先日個展に伺った菊田さんが「沖縄にもともとある花は白い、鮮やかな花は外から来た、とおっしゃっていたのを思い出しました。
ガイドは地元の住人・はじめちゃん!阿波連の町をゆらてぃーく「まちまーい」!
シークァーサー狩りを楽しんだ後はカメカメハウスのある阿波連の町を歩きます。
ガイドをしてくれるのはここ阿波連で民宿も営む“はじめちゃん”こと金城肇さん!
ゆっくりと素敵な語り口の愛すべきガイドさんです。
「まちまーい」は町歩き、ゆらてぃーくとは、みんなで一緒にゆっくりのんびり、といった意味合いのある言葉だそうです。
旅のしおりには「地元おじぃガイド」とあったのですが、私のイメージするおじぃとは全く違った、おじぃなんて呼んだら申し訳ない可愛いガイドさんでした。
ガイドのはじめちゃんに7人、プラスツアー全体のガイド・池松来(らい)さんの9人で街歩きに出発です。
まず訪れたのが近くの民家、今も居住されている現役のお宅です。
今は外の石垣がブロック塀のお宅も多いですが、昔ながらのサンゴの石垣も多く残っているそう。
こちらのお宅も外側の塀はブロックですが、内側にサンゴの塀が残っていました。
このように外側、内側2重石垣があるのが特徴だそうです。
力石
次に訪れたのがこちらの敷地にある力石です。
阿波連集落では戦前、男子は15歳になると一人前と見なされ、青年への仲間入りができたそうです。
青年の仲間入りをする第一の条件は、約70キロあるこの卵型の石を持ち上げること!
若者たちは夕方になると競ってこの力石を持ち上げる練習をして力比べをしたり、力自慢をしたのだとか。
阿波連ビーチとカツオ漁
渡嘉敷村のカツオ漁は明治36年から始まり、ここ阿波連集落でも盛んに行われていたそうです。
このレンガの煙突は、カツオ節の製造工場の煙突の一部が残されたもの。
カツオが水揚げされて加工された後カツオ節になるまでに、煮たり、蒸気を当てて水分を取ったり、薪の煙で乾燥させたりするのだそうです。
その製造過程には火力が必要で、この煙突はそのためのものでした。
戦後の阿波連集落では1日に2、3回漁に出ていた時期もあったそうで、カツオ節工場も2ヶ所あったそうです。
カツオ漁が盛んになり、大型船で操業するようになると、村の人の生活も次第に豊かになったとか。
それまで茅葺きの家が多かったそうですが、カツオ漁による収益が増えルト、瓦葺きの家が多くなったのだそうです。
戦後1960年代には徐々にカツオの漁獲高も減り、1962年には渡嘉敷島の赤間山に米軍のミサイル基地が作られると、若い人がそちらに働きに行ってしまい、カツオ漁は後継者を失ったのだそうです。
そして1964年、50年余り続いたカツオ節製造工場は操業を停止しました。
ムーチー作り体験と月桃茶で中ゆくい
みんなで1時間半、阿波連のまちまーいを楽しんだ後、ガイドのはじめちゃんの民宿のテラス?でムーチー作りを体験しました。
ムーチーとは沖縄伝統のお餅のお菓子。
沖縄が一番寒くなる旧暦の12月8日(新暦の1月下旬から2月上旬)に子供の成長を願って作るのだとか。
餅粉に白糖や黒糖、紅芋などを練って餅状にしたタネを、月桃という葉っぱに巻いて蒸し器で蒸して作ります。
既にはじめちゃんが作ってくれていたタネを月桃の葉っぱにはさんで蒸しました。
このお茶も月桃の葉っぱから作られています。
何という色と呼べばいいのか、とっても綺麗な色です。
月桃の葉は独特のいい香りのする葉っぱで、お菓子から化粧品までさまざまなものに利用されるのだとか。
お餅を蒸している時もとてもいい匂いがしていました。
こちらが出来上がったムーチーです。
熱々をいただきました。ほんのり甘くて素朴なお菓子、美味しいです。
はじめちゃん!まちまーいからムーチーまでお世話になりました!ありがとうございました!
民宿ゆうなぎ荘はこちら:http://www.yuunagiso.com/index.html
まとめ
「島あっちぃ」モニターツアーの初日は行程変更で渡嘉敷島へ。
フリータイムにシークァーサー狩りを楽しみ、午後からは地元の名ガイド・はじめちゃんと“ゆらてぃーく”「まちまーい(町歩き)」。
ゆらてぃーくとは、みんなで一緒にのんびりゆっくり、という意味合いのある言葉だそう。
まちまーいからムーチー作りまで、まさに“ゆらてぃーく”楽しみました。