シングル子育て奮闘記 天国に一番近い島ニューカレドニアへ①

天国に一番近い島 ニューカレドニア・ウベア島

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シングル子育て奮闘記 天国に一番近い島ニューカレドニアへ

シングルマザー歴今年で20年

今年は還暦だったり、定年退職だったり、じぶん探しから10周年だったり、いろいろ区切りの年です。

考えてみたらシングルマザー歴も今年で20年になろうとしています。

もう娘も社会人3年目。

もうすぐ26歳になるので、もう子育ては卒業です。

前しか見ないで突っ走ってきたシングル子育て。

大変と言うよりはとてもいい経験をさせてもらったと言う思いでいっぱいです。

そんなシングル子育ての話もしていきたいと思っています。

まずはその出発点。ニューカレドニアの旅の話から。

2001年9月の交通事故が原因でパートナーが帰らぬ人に

事故の話はこちらでも書いたのですが、

2001年9月の敬老の日の連休に家族3人で新潟に住む両親のところに遊びにいきました。

連休最終日、東京に帰ります。

関越道の渋滞を避けて時間をずらして夜に新潟を出発、東京に向かいました。

途中、トンネルを抜けると2車線が3車線になるところがあります。

その日、トンネルの先では雨が降っていて、トンネルを出たところで前の車がスリップしてスピン。

そこにウチの車が突っ込みました。

助手席で寝ていた私は事故瞬間の記憶はありません。

気が付いた時には赤いランプの点滅が反射する車内で、「誰かいますか?」の問いに「後ろに娘がいます!」と答えたこと。

それからまたしばらく記憶がなくて、次に気づいた時には隣のパートナーも後ろの席に娘もいませんでした。

私は助手席のシートと前のダッシュボードに挟まれ抜け出せなかったようです。

救急隊の方が救助してくれて、救急車で病院に運ばれました。この記憶もありません。

私ははさまれていた右足の脛の骨を骨折、大腿骨を脱臼していました。

後で知りましたがこの事故でパートナーは両足大腿骨骨折、娘は内臓4箇所を損傷していました。

それぞれに大怪我だったので、駆けつけた救急車で3人とも別々の高崎付近の救急病院に搬送されました。

娘は搬送後即手術だったそうです。

開腹して内臓を一度全部出してから、破損のある箇所を1箇所ずつ探していったと後で先生から聞きました。

そうして見つかった4箇所を縫合し、また元のようにお腹に戻したそうです。

パートナーは別な病院のICUにいて、体は動かせないものの元気だと聞いていました。

そうこうするうちに一番重症と思われた娘が、手術後若さゆえどんどん回復していきます。

両親が新潟から高崎の病院まで付き添いに来てくれていましたが、

両親も新潟での仕事を放り出して来ているので、いつまでも引き止めるわけにもいきません。

両親は新潟で小さな婦人服の縫製工場をしていました。 これは娘が中学生になってから夏休みの家庭科の宿題を手伝ってもらっている時の写真(2008年)。

私は娘が退院できるタイミングを待って、新潟の病院に転院し、新潟の病院で手術をすることに決めました。

介護タクシーを手配して、私は寝たままの転院でした。

新潟の病院では個室に入ることができ、私の手術の日程も決まりました。

娘は実家で寝泊まりし、

朝、両親が仕事に行くタイミングで病院に連れてきてもらい、

病室で私と一緒に過ごし、

夕飯も一緒に食べて、

夜、消灯に合わせて両親が迎えに来て帰る、

と言う生活が始まりました。

そんなある日、パートナーが亡くなったと言う知らせが届きます。

もう消灯していた病院のベッドの上で弟からかかってきた電話で聞いた訃報でした。

その翌日に、私の弟がパートナーのいる病院に行くことになっていて、

「何か伝言ある?」と弟が娘に聞いて「大好きー、大好きー、大好きー」と答えた、まさにその夜の出来事でした。

怪我が原因の肺血栓症でした。

動けないものの元気だと聞いていたので、想像もしていない出来事でした。

手術を前に、夜の個室のベッドの中で布団をかぶって大声で泣きました。

あの時、個室で本当に良かったと思います。

本当に大声で思いっきり泣けたからです。

悲しみは悲しみとして吐き出せたから次に進めたんだと思っています。

この事実をいつ娘に伝えるか 

すべてはこの病院のベッドの上で

さてこの事実をどう娘に伝えるのか、が私の次の大きな課題となりました。

とにかく大好きで大好きで、私よりなついていたパパの死です。

いくら大好きなおばあちゃんの家にいるとはいえ、普段とは違う環境の中で、

また私も24時間一緒にいてあげることのできないこの状況の中で、

この事実をどう伝えたらいいのか。

本当に悩みました。

考えた結果、私の結論はこうでした。

私も退院し、24時間一緒にいられる環境になったら、ちゃんと事実を伝えよう。

できればパパの思い出がありすぎる「家」ではなくて、

どこか非日常的な空間、

温泉地なのか遊園地なのかリゾート地なのかわかりませんが、

気を紛らわすことのできる何かがある環境で伝えたいと思いました。

私のやるべきことは守るべきものを守ること、守るべきものは娘なのだとはっきり自覚した瞬間でもありました。

9月の事故から新潟の病院に転院、パートナーの死、自分の手術、そして入院してのリハビリで、私は年内いっぱい入院していました。

パートナーの死を知るまでは、仕事もベッドの上でしてもいい位の気持ちでいました。

でも守るべきものがはっきりした今、キッパリ長期で休むことにも気持ちが切り替えられました。

娘に嘘はつきたくないので、今まで通り同じ状況で入院している設定で、でもあえてわざわざそれを伝えることはありませんでした。

この事実をどこで娘に伝えるか

温泉もいいかと思いました。

いつ?の問題は、私が退院して24時間一緒にいられるようになったら、と決まりました。

次はどこで?が問題です。

非日常的空間

何か気を紛らせることができる場所

時期的に寒い時期だったので、「暖かいところ」がいいと思いました。

娘はずっとスイミングに通っていて泳ぐことが大好きなので「泳げるところ」もいい。

パパの話をして悲しませるだけではあまりにも可愛そうです。

自分の怪我や手術で傷ついた上、母親が長期で入院してストレスの多い生活をさせてしまったのだから、泳いだり、遊んだり、楽しいこともたくさんさせてあげたい。

そんな思いでいっぱいでした。

常磐ハワイアンセンターからのハワイ、そしてニューカレドニアへ

最初の候補だった常磐ハワイアンセンター(現在のHPから引用)

まず思いついたのは「常磐ハワイアンセンター」でした。

今は名前が変わって「スパリゾート ハワイアンズ」になっているところです。

スパリゾート ハワイアンズはこちら:https://www.hawaiians.co.jp

プールもあって、温泉もあって、泊まれて、ショーもあって、まさに非日常。

結構本気で考えていました。

その頃に私の足がどの程度回復しているのかは全く分かりませんでしたが、辿り着けさえすれば何とかなる、と思っていました。

当時は今のようにインターネットも普及していなかったので、どうやって情報を集めたのか今となっては不思議ですが、まず最初の候補は常磐ハワイアンセンターでした。

そうこうするうちに、どうせハワイアンセンターに行くなら、本物のハワイはどうだろう、と海外に目が向いたのがきっかけで、だったらニューカレドニアはどうだろう。

天国に一番近い島、ニューカレドニア。

天国に一番近いならパパも近くにいてくれるはず。

そうだ、ニューカレドニアに行こう!

天国に一番近いというフレーズの力を借りてパパのことを伝えよう!

こうして行き先はニューカレドニアに決まりました。(つづく)

地球の歩き方 2002〜2003版

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