新潟良いとこ何度もおいで♫ 観光編3・新発田(しばた)城
きっかけはSNSで前日に見た御城印とお城カード
五頭温泉郷の1つ・村杉温泉に宿泊した日、SNSで新発田城の御城印と城カードのニュースが流れてきました。
村杉温泉のご紹介はこちら:新潟良いとこ何度もおいで♫ 温泉編2「五頭温泉郷・村杉温泉」
新潟日報さんのニュースです。
温泉を出て訪ねた瓢湖から新発田城へは車で30分で行けるとわかり、行ってみることにしました。
新発田(しばた)ってどこ?
新発田市は新潟県の北部、新潟市に隣接する新発田藩の城下町として栄えてきた街です。
新潟市内からは車で30分ほどで行くことが出来ます。
山間部の集落では、旧石器時代や縄文時代の遺跡が発見されていて、古くから人々が住んでいたことがわかります。
江戸時代から明治4年に廃藩置県がされるまでは、12代、約270年もの間、溝口家によって治められてきました。
初代藩主・溝口秀勝(ひでかつ)は尾張国(愛知県)の出身で、慶長3年(1598年)豊臣秀吉の命により6万石を与えられ、加賀国(石川県)から新発田に入封しました。
その後の関ヶ原の戦いでは徳川方に付いた外様大名です。
江戸時代、外様大名でありながら12代もの間に一度も配置替えがなかったのは注目すべきこと。
入封当時のこの土地は沼などが多い未開墾地でしたが、歴代の藩主が河川改修や干拓などの治水と新田開発に努めた結果、美しい田の広がる蒲原平野へと生まれ変わったそうです。
こちら溝口家の家紋・五階菱です。今も新発田市の市章として継承されています。
新発田城の見学ポイントがわかりやすい!
表門の受付で新発田市観光ガイドボランティア協会の方からもらった「新発田城の見学ポイント」です。
これ、とてもわかりやすいですね。
1&2は↑でお伝えした通り。
- 表門(1732〜)と旧二の丸隅櫓(1712〜)は国の重要文化財
表門と旧二の丸隅櫓は、新潟県内で唯一、江戸時代から現存する城郭建造物だそうです。
表門は2階建ての櫓門で、2階の正面に敵を攻撃するための「石落とし」という仕掛けがあります。
- 美しい切込接布積(きりこみはぎぬのづみ)の石垣(1670頃〜)とお堀は約350mが現存
1669年に大地震が起き、それまでの「乱積み」という石垣の大半が崩れたそうです。
翌年から積み直しが行われ、石を整形し隙間なく積む当時の最高技術である「切込接布積」に変わりました。
- 新発田城は武家諸法度(1615)後の築城なので天守閣は無い
初代藩主・溝口秀勝は入封後築城を開始、56年後の1654年、3代宣直(のぶなお)の時に完成したそうです。
- 天守閣がわりの三階櫓と辰己櫓は古写真等を基に復元(2004)
平成10年(1998)、初代藩主・溝口秀勝の入封400年記念事業をきっかけに三階櫓の復元の気運が高まり、翌年から事業が開始。平成16年(2004)に完成したそうです。
- T字形の屋根と三匹の鯱が特徴の三階櫓は全国でここだけ
確かに珍しい形ですね。
- 赤穂浪士で有名な堀部安兵衛の生誕地で父は新発田藩士
堀部安兵衛の父はかつて辰巳櫓の管理責任者で、この櫓の焼失の責任をとって浪人となったそうです。
その後、安兵衛は家名再興のために江戸に出て、高田馬場の敵討ちで名を遂げました。
新発田城から車で5分くらいのところに、新発田藩の下屋敷で美しい庭園である「清水園」という国指定の名勝があるのですが、その敷地内に堀部安兵衛伝承館としてさまざまな資料が展示されています。
四十七士のお墓のある東京の泉岳寺のお膝元・高輪育ちの私としてはとても気になる伝承館でしたが、あまりの資料の多さにゆっくり見ることが出来ませんでした。
新発田城御城印とお城カード
そしてこちらが新発田城の御城印です。
こちらがお城カードです。
各地お寺や神社で御朱印をいただくことはあっても、お城で御城印をいただくのは初めてです。
最近流行っているようですね。
今まで沢山のお城を訪ねていますが、これからはお城でも御印をいただくことにします。
清水園と足軽屋敷
先ほど、堀部安兵衛資料館でお話しした清水園です。
新発田藩主・溝口家の下屋敷として三代・宣直の時に清水谷と呼ばれていたこの土地に建立されたそうです。
広さ4600坪の下屋敷は清水谷御殿と呼ばれ、清水園の名前の由来になっています。
その隣には足軽屋敷が残っています。
藩政時代の足軽が住んでいた茅葺平家だての8軒長屋で、国指定の重要文化財になっています。
まとめ
新発田城、そして清水園、足軽屋敷と貴重な歴史的価値のある文化財がこんなに近くにあったとは知りませんでした。
訪問のきっかけは御城印でしたが、沢山の学びがありました。
新潟市内から30分と手軽に訪れることが出来、近隣の温泉地と組み合わせてぜひ訪問してみてください。
こちらにもぜひ!蕗谷虹児(ふきやこうじ)記念館
新発田城から車で数分のところに、新発田の出身で、大正から昭和にかけて少女雑誌などで活躍した蕗谷虹児の記念館がありました。
こちらもおすすめです。
代表作・花嫁の切手シールが売られていました。
蕗谷虹児さんについて、こちらに詳しく記載されていますのでご覧ください。https://japlt.or.jp/fukiyakoji-kinenkan-jp
新潟良いとこ何度もおいで♫シリーズ 観光編1はこちら:新潟良いとこ何度もおいで♫ 観光編1 阿賀野川ライン舟下りと道の駅・阿賀の里