明日の引越しを前に、2年間の東京仮住まい生活を振り返る
とうとう明日引越しです そもそも東京に来た訳は…
私の娘は看護師3年目で東京の病院で働いています。
2年前、働き始めてすぐの頃からどんどん顔から精気が失われていき、私と会うといつもシクシク泣くようになりました。
もともと真面目で頑張り屋の性格。
覚えなければならないことや復習しなければならないこともたくさんあって、朝早く出て行って夜遅くまで振り返りの勉強をする日々が続いていました。
失敗が失敗で済まない仕事であることも加わって、もういっぱいいっぱいという状態でした。
私はこの病院で人工股関節置換手術を2回経験しています。
2回目の手術はちょうど娘が働き出した4月でした。
仕事が終わって私の病室に来て娘は泣いていたのですが、この頃は5月病っていうやつかな、くらいに思っていました。
それが私が退院した後、出張で東京に来た時も状況は変わりません。
いや、前よりひどくなっているようにも見えました。
6月になってもそんな感じだったので流石にこれはまずいと思い、「私が近くに来て家のこととかやってあげようか?」と聞きました。
「そうしてもらったら嬉しい」
素直にSOSを出してもらったおかげで私も決心がついたのでした。
会社に掛け合って東京出張を願い出ることにしました。
東京のアパート
正式に東京転勤となるまでにはいろいろ手続きがあるので、秋までかかりました。
が、娘をこのまま放っておいて取り返しのつかないことになったらたまりません。
それほど顔からは笑顔が消え悲壮感が漂っていました。
会社の手続きと並行して、娘の家の近所にアパートを探しました。
会社には出張扱いのような形にして東京のオフィスで働くことにしてもらいました。
もちろん金銭面のサポートはありませんが、こういう柔軟なところには大変感謝しています。
アパート探しもさすがネット時代。
住所から検索して同じ町内にアパートが見つかりました。
娘のアパートからドアtoドアでちょうど100歩。
よく「一緒に住まないの?」と聞かれたのですが、
そもそも娘のワンルームに2人は辛い
サポートするとは言ってもプライベートも大事
なので、最初から一緒に住む考えはありませんでした。
ちょうど見つかったアパートも2年間限定とのことだったので、これもちょうどいいかなと思いました。
いつまでもそんな辛い状況が続くのなら、その仕事を続けること自体を見直したほうがいいし、私も2年後はちょうど定年退職で、退職したら新潟に転居しようと思っていたからです。
6月中にアパートを見つけ、7月12日から住み始めました。
基本夕飯は娘のところでするので、キッチン用品も最低限。
冷蔵庫は小さいものをレンタル。
でもコロナで在宅になってからにはちょっと小さすぎました。
洗濯も娘のところでするので洗濯機は持たない。
2年限定の仮住まいなので、基本家具もレンタル。
大きなものは神戸の家にあったソファベッドだけを神戸から運ぶ、という引越しでした。
当時神戸のマンションはまだそのままにしてありました
すでに新潟に定年後転居予定のマンションがあり、加えて期間限定とはいえ東京のアパートとなると、流石に神戸のマンションは手放そうと思いました。
会社の正式な転勤手続きが終わるのを待って売りに出しました。
東京仮住まい生活 コロナ前
東京オフィスで働くことにしてもらったのはありがたいのですが、東京での生活で一番心配、というか一番嫌だったことは「通勤」です。
思えば神戸での通勤は楽でした。
最初の頃は車通勤でしたし、会社が三宮駅前に引っ越してからは電車で最寄り駅から12分。ドアtoドアでも30分かかりません。電車も大阪方面行きと逆方向なので空いています。
股関節の術後も順調に回復しているとはいえ、PCを運んでの通勤は辛いものがありました。
娘は日勤の時、毎朝6時20分には家を出ていきます。
私もこれに合わせることにしました。
会社はフレックスを導入しているので、オフィスビルの開く朝7時から出勤可能。
娘と一緒に出れば、ちょうど7時ごろ出社でき、その分早く退社すれば、行きも帰りもラッシュに巻き込まれることはありません。
早朝出勤の日々が始まりました。
帰りに地元のスーパーで買い物して、夕飯を作り、娘の帰宅を待って一緒に食事。
その間に娘の洗濯機を借りて自分の洗濯物を済ませる。
食後、洗い物をして自分のアパートに帰る。
そんな生活が始まりました。
早朝出勤は結構快適でした。
人も少ないうちに集中していろいろなことが処理できるので、私には合っていたと思います。
なんと言っても朝の通勤が楽。
流石に神戸の時のように毎回座れるというレベルではありませんが、立っている人もまばら程度には空いています。
途中霞ヶ関でさらに空きます。
帰りも座れない程度に空いていました。
とはいえ、流石にPCを下げての通勤は辛いし転倒して骨折というのだけは避けたいので、杖がわりになるキャリーバッグを使っていました。
東京仮住まい生活 コロナ後
そんな快適な早朝出勤の日々も半年後に急変します。
コロナ対応で在宅勤務の生活が始まりました。
もともとうちの会社はコロナ以前から「ワークフロムホーム」を実施していて、週1もしくは月間連続して5日、在宅勤務をすることが推奨されていました。
ハード面もソフト面もすでに準備されている状態でしたから、在宅勤務への移行はなんら問題ありませんでした。
1日中家にいるわけですから、娘と一緒に住まなくて良かったとも改めて思いました。
ただ、もともと帰って寝るだけのはずだった場所が、まるまる1日いる場所になったので、閉塞感はありました。
また娘の仕事柄、私がコロナを運んで娘に移すことだけは避けたいと思いました。
娘も逆に、娘が運んで私に移すことを心配していました。
なので緊急事態宣言下では娘のところで夕食を作っても一緒に食べず、私がお弁当のようにして自分のアパートに持ち帰り、お互い1人で食べるようにしていました。
便利だったもの3選 第3位 立て掛け式コートハンガー
洗濯は娘の洗濯機を借りてするつもりにしていたので、この部屋に洗濯機は置いていません。
その洗濯機を置くはずのスペースをクロゼットにしていました。
この壁に立てかける式の衣類ハンガーが便利でした。
ワンピースなどの長さのあるものもOKですし、コートなどの重さのあるものをかけてもグラつかず、結構しっかりしています。
これはどこかの通販で買いました。
便利だったもの3選 第2位 ミシン
ミシンです。
まさかコロナ生活になるとは思わず、でも東京でも洋裁はしたいと思っていたので、神戸から送りました。
最初からこの小さい押し入れをミシン置き場にしようと思っていました。
なので洗濯機置き場にコートハンガーが必要でした。
それがコロナ生活になって大正解。
この小さな縫製工場でトータルで500枚近いマスクを作りました。
ミシンは2016年に大阪のしもだミシンで購入した職業用ミシンです。
ジャノメのH S -85DX
https://www7.janome.co.jp/sewing_machine/professional/hs-85dx/
神戸から東京へ送ったと書きましたが、実際は一度このしもだミシンさんに送ってメインテナンスをしてもらってから、東京に転送してもらったものです。
しもだミシンさんは500円でメインテナンスしてくれるのです。
ミシンはマシーン。
ちょっとしたお手入れ不足が縫製の調子に出てしまうので、500円メインテナンスはありがたい。
ミシンを送るためにその箱を取っておくことが大事です。
これが結構場所を取るのが今の私の悩みでもありますが。
便利だったもの3選 第1位 レンタル家具各種
ベスト1はレンタル家具の数々です。
こちらで借りました。
コロナ前は帰って寝るだけのはずだったので、小さい冷蔵庫、丸テーブル、椅子2つをレンタルしました。
コロナ後はここがオフィスになったので、丸テーブルは大きめ(直径1m)のものにしておいて良かったです。
PC開いて書類置いても余裕があります。
娘が遊びに来て一緒に食事するのにも十分でした。
娘はここを「居酒屋みほ」と呼んで通ってきています。
椅子は最初こちらを2脚借りていたのですが、
一日座っているには向いていないので、途中で1脚だけこちらに変更しました。
同じく在宅勤務が始まってから、キャビネットも追加しました。
仕事の書類と、あと自粛生活中の時間を利用して個人的に勉強したいことがあったので、その教科書などを入れるのにちょうど良かったです。
しまう場所があると、見た目も気持ちもスッキリして気分がいいです。
残念だったことベスト1
娘や東京オフィスの人、そして東京の友人たちといろいろなお店に行きたかったし、1人でホテルのバー探検もたくさんしたかった😢
良かったことベスト1
娘が元気になってくれたことに尽きます。
本来の明るさが戻り、前向きに次の目標に向かって頑張っています。
職場では1年生をお世話する立場になり、さらに学習を続けています。
もう私のサポートは必要ありません。安心して新潟に移ることができます。
これからは相談相手として、飲み友達として仲良くして行けたらと思っています。