2002年に東京から神戸に移り17年住んだのち、
東京で就職1年めの娘の緊急事態。
そのサポートのため始まった2年限定の再び東京での生活。
ちょうど今その2年が終わろうとしています。
そしてその後は新潟に完全移住する予定でいます。
新潟は母の故郷。
そして父が仕事を(何度も)起し、私が高校生の頃には母もその仕事を手伝うために東京から移り、二人とも亡くなるまで40年以上住んでいたところ。
その経緯はこちらで↓ざっくりお話ししましたが
とはいえ、新潟は私にとって入院以外では住んだことのない、お正月と夏休みに両親に会いに訪れる場所でした。
なぜその新潟を移住先に決めたのか、お話ししたいと思います。
新潟の母が交通事故で急死 要介護の父が残される
2016年の夏、母が交通事故で急に亡くなりました。
とても元気だった母は、毎朝、市民プールでなんと!1キロ泳ぐのを日課にしていたほどです。
その日もいつものように自転車でプールに向かっているところでした。
海岸の近くにあるその市民プールまであと5、600メートルのところのT字路の横断歩道を自転車で横断中に、向こうから右折してきた乗用車と接触、そのまま頭部から地面に転倒。
たまたまお休みで通りかかった消防士さんが救急車を呼んでくれ、
こちらもたまたま通りかかったお休みで海に遊びに来ていた看護師さんが救急車が来るまでその場でずっと母に付き添ってくれたそうです。
意識はないながらもいかに心強かったことかと、本当にありがたく思っています。
そんな方々のおかげで母は救急車で病院に運ばれましたが、残念ながら帰らぬ人となってしまいました。
朝、9時過ぎだったでしょうか、病院に運ばれた、というニュースを私は神戸・三宮のオフィスで伯母から電話で聞きました。
上司に事情を伝え、新潟に行こうとオフィスを出る支度をしていた時、
再度伯母からの電話で病院に運ばれたけれどダメだった、という知らせを聞いたのです。
神戸から伊丹空港へ急ぎ新潟行きの便に乗りました。
あの日、飛行機の上から見た景色は忘れません。
真っ白い夏雲があちこちに浮かび、雲の合間合間に母の顔が思い出され涙が止まりませんでした。
新潟の病院に着いてからは、あれやこれや次々と決めなければならないことの山積みで、正直悲しんでいる暇がありませんでした。
葬儀の準備とは究極のマネジメントだと知りました。
初めてだったからなおさらです。
ようやく全て終わり、ほっとしたのも束の間、最大の難問が残されていました。
残された要介護の父をどうするか問題
母の忌引き休暇に夏季休暇を合わせ、少し長めの休暇のうちにいろいろ決めて神戸に帰らないといけません。
初めてお会いしたケアマネージャーとの連携プレイが始まりました。
一つめの選択肢は父も神戸に移る、でしたが、見ず知らずの土地には行きたくないとのことで却下。
他の選択肢は
- サービス付き高齢者住宅などに移る
- 訪問介護などのサービスを受けながら一人暮らしをする
などですが、この短い期間に全てを決めるのは難しく、とりあえずこの先のことを決める準備期間は「ショートステイのロング利用」を勧められました。
ショートのロング??介護の話自体まったくの初心者だったのですべてがわからないことだらけでしたが、取り敢えずそのショートのロングにお任せすることにして、一旦神戸に戻ることにしました。(つづく)