母の着物に三味線&新米新酒・至福のひととき

母の着物と帯

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母の着物に三味線&新米新酒・至福のひととき

母の遺した着物と帯

私の母は2016年の7月27日に

交通事故で突然亡くなりました。

母のことはこちら:母の遺した手描きの四谷の地図

新潟は着道楽の街だから、と母がよく言っていて

実家にいた頃は呉服屋さんが家に来ては

畳の上にいくつもの反物をさーっと転がして

広げてみせる光景をよく見たそうです。

経験したことのない私には細雪の世界。

見立ては母の母、つまり私の祖母がしていたようです。

私の成人式の振袖も祖母が選んだと聞いていました。

着物あるから着ない?と母に言われても

私は着物の世界は入ったら抜け出せない

恐ろしい世界だと思っていたので

母には「着物は着ない」宣言をしていました。

着るのは浴衣だけ、と決めていたのです。

そんな家に育った母は沢山の着物を遺して逝きました。

亡くなったのは偶然の交通事故なので

本人ですら想定外の出来事だったはずなのに、

母は着々と終活を進めていたようで、

沢山ある着物を

捨てるもの、

リユースして小物を作るもの、

買取に出すもの、

捨てられずに取っておくもの

に分類して、買取査定の予約までしてありました。

実際査定に来たのは母が亡くなって1週間後くらいでしたら、

そのタイミングに驚くばかり。

高いのか安いのかわからないような値段でしたが、

母の意志で決めたことなのでそのまま引き取ってもらいました。

箪笥に残っているのは

おそらく思い入れがあって処分できなかった着物と帯が20点ほど。

それらはその後のバタバタに紛れて

しばらく放置されたまま箪笥の中で眠っていました。

綺麗な帯など、いずれリメイクしてバッグにでもしようか、

と思っていたほど、自分で着るつもりは全くありませんでした。

母の着物の恩人・Mさんとの出会い

その後、佐渡おけさ踊り隊の活動を始めて

Mさんと出会います。

新潟の柄のふろしきから浴衣を作るのにとてもお世話になった方です。

その頃には実家のマンションは整理して

自分用のマンションに新潟の拠点を移していました。

当時はまだ神戸に自宅があったので、

新潟の部屋はセカンドハウス。

今は浴衣や着物でいっぱいになってしまった

作り付けの棚もまだがらんとしていました。

母の遺した着物や帯の類はこの棚にとりあえず保管してありました。

ある日、我が家を訪ねてくれたMさんがこの着物たちを見て、

ちょっと見てもいいですか?と中を見てくれました。

「素敵なお着物ばかり。着ましょうよ!」

それまで興味がなくて、たとう紙の中の着物もろくに見ていなくて、

どんな着物が入っているのかも知らずにいました。

こうして改めて見てみると

なるほど、柄とか色とか惹かれるものがありました。

その中からいくつか

大島紬の着物とそれに合いそうな帯を選び

クリーニングしていただくことにしました。

瀕死の母の着物が救われた瞬間です。

見つけた母の着物姿の写真

母の着物と帯

母は色々な着物を遺してくれましたが

実際、母がどんな時にこれらの着物を着ていたのか

母が遺した写真を見ても残っていなくて想像するしかありません。

そんな中、唯一、この訪問着と帯だけ

母の着物と帯

(正確にはあと黒留袖と金糸の帯も)

母が着ている姿が写った写真が見つかりました。

母の着物と帯

写真は母の兄の長女・Kちゃん(母の姪)の結納か何か、

親族紹介とかなのでしょうか、

Kちゃんとそのご主人が主役で、

親族一同集まっての食事会用に

女性陣が母の実家でお着替えしている時に撮られたもののよう。

母の着物の由来がわかる貴重な写真です。

この着物はずっと着てみたいと思っていて、

11月に着る機会がありそうなので

Mさんに頼んで仕立て直しをお願いしていました。

それに合う帯を探していたところにこの写真が見つかったので、

母と同じコーディネートで着てみたいと思っていたのです。

11月23日の祝日、母の着物と帯でGO!

11月23日は勤労感謝の日の祝日です。

以前からお誘いをいただいていた

津軽三味線奏者の史佳(Fumiyoshi)さんの三味線と、

新米新酒とフレンチの美酒ヌーヴォを楽しむ会に

母と同じコーディネートで行ってきました。

こちらがそのリーフレット。

母の着物と帯

第一部は津軽三味線奏者である史佳さん、

そしてユニットを組んでいるThree Line Beatの方々とのパフォーマンスで、

第二部がホテルオークラの総料理長のフランス料理を

新潟の新米新酒と楽しむ食事会、

4つの酒蔵から杜氏さんを迎え新米新酒の解説もあります。

母の着物と帯

津軽三味線の迫力に圧倒される

史佳さんとは

史佳さんは新潟市の出身の三味線奏者。

お母様が竹山節本流津軽三味線の

新潟高橋竹山会2代目会主の高橋竹育さんで、

史佳さんはその3代目会主を高橋竹秀として襲名されています。

2019年にはアメリカ・ニューヨークのカーネギーホールでコンサートを開催、

今年も同ホールにて10月に2回目のコンサートを開催しています。

史佳さんはこちら:https://shamisenplayer.com/fumiyoshi

伝統的な津軽三味線の楽曲3曲で

その迫力を堪能し、

新たな試みである三味線とパーカッションの

洋楽的旋律に癒され、

最後の、お母様でもある師匠とのセッションは

息のあった掛け合いと鳥肌もののパフォーマンスで

会場いっぱいの拍手で包まれました。

個性あるれる新米新酒でいただくフレンチ

母の着物と帯

この日のお料理に合わせて選ばれた新米新酒は4種類。

母の着物と帯

オードブル&吉乃川・新米仕込み新酒

オードブルには吉乃川・新米仕込み新酒があわされました。

酸味のあるさっぱりとした口当たりのいいお酒でした。

こちらがオードブル

母の着物と帯

越乃黄金豚ハムと野菜のモザイク仕立て

イタリア産生ハム添え

プチサラダとかきのもとの飾り

具沢山のタルタルソース

最初のお魚料理と越の誉・純米葉月みのり新米新酒

こちらは最初のお魚料理

母の着物と帯

トラウトサーモンと小海老のパイ包み焼き

ナンチュア風ソースの味わい

こちらには越の誉・純米葉月みのり新米新酒が合わされました。

さらに酸味の強い個性的なお酒ですが、

濃いめのソースと合わせると逆にスッキリ、飲みやすいと思いました。

ナンチュア・ソースはザリガニの甲殻を炒めて

赤い色素を出すオレンジ色のソースのことなので、

ナンチュア風ということは違う海老の甲殻を炒めたのかもしれません(未確認)。

2つめのお魚料理と緑川酒造・ゆららか緑川

こちらは2つ目のお魚料理

母の着物と帯

帆立貝と舌平目の香草パン粉焼き

やわ肌ねぎのクリーム煮とセミドライトマト添え

ターメリックとバルサミコ風味の2色ソース

こちらに合わせたのは

緑川酒造・ゆららか緑川

母の着物と帯

アルコールが17.5度と高めです。

とても希少な酒米で作られているとのこと。

白濁して発泡しています。

前の2つより酸味は控えめ、強い旨味を感じました。

お肉料理には新米新酒ふなぐち菊水一番しぼり・吟醸生原酒

こちらがお肉料理

母の着物と帯

牛フィレ肉のソテーとハンバーグのレンコンはさみ焼き

マッシュポテトと彩り野菜の飾り

赤ワイン風味のソースにベアルネーズソースのアクセント

こちらに合わせたのは

新米新酒ふなぐち菊水一番しぼり・吟醸生原酒

個人的にはこのお酒が一番バランスがよく、美味しく感じました。

アルコールが19度と高いので注意しながら堪能させていただきました。

まとめ

晩秋の1日、

悪天候の予想が奇跡的に晴れ間を見せて

見つかった母の写真と同じコーディネートで、

着物でのお出かけを楽しんできました。

第二部の食事会には三味線の史佳さんたちも参加され、

会場で参加者と写真撮影に応じてくれるなど

サービス精神満載のひとときでした。

私も1枚撮っていただきました。

母の着物と帯

そしてこの日のハイライトはやはりこちら。

母の着物と帯

母と同じコーディネートで

私よりも若い母とのツーショット。

母もどこかで喜んでくれていると思います。

 

 

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