お見逃しなく!「ピカソとその時代」展へ!その2
ベルクグリューン美術館の大改修工事で実現した世界巡回展!
上野の国立西洋美術館で開催中の「ピカソとその時代」展へ行ってきました。
ベルリンの国立ベルクグリューン美術館が2025年まで大改修工事に入り、その間、この美術館の珠玉の作品が世界を巡回。
日本はその最初の巡回地として開催され、ここ東京の後、大阪へと巡回します。
ピカソをメインとしたこの展覧会は、分かりやすい7つのテーマに沿っての展示され、そしてほとんどが撮影OKです。
前回はその2つのテーマ;
- セザンヌー近代芸術家たちの師
- ピカソとブラックー新しい造形言語の創造
の作品をご紹介しました。
その話はこちら:またとないチャンス!「ピカソとその時代」展へ!その1
今回は3の「両大戦間のピカソー古典主義とその破壊」以降の作品をご紹介します。
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両大戦間のピカソー古典主義とその破壊
第一次世界大戦中から終戦後の数年間には、保守的な空気がフランスの社会に広まり、美術の世界にも「秩序への回帰」と呼ばれる傾向が強まります。
そんな中、ピカソはいち早く伝統的な芸術に目を向けました。
ピカソ「窓辺の静物、サン=ラファエル」(1919)
ピカソ「座って足を拭く裸婦」(1921)
これもピカソなのかと驚きます。
このように、大戦末期から1920年代初めに、古代彫刻や古典絵画に想を得た作品を多く描きました。
しかし、1920年代後半からは、彼を先駆者と仰ぐ若いシュルレアリストたちとの接触に刺激を受けます。
古代神話の世界ですらも、人間の衝動や欲望を映し出す題材となっていったようです。
ピカソ「踊るシレノス」(1933)
ピカソ「サーカスの馬」(1937)
スペインの内戦下、ゲルニカの数ヶ月後に描かれた作品。
ピカソ「雄鶏」(1938)
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両大戦間のピカソー女性のイメージ
実生活における女性たちとの関係は、ピカソの作品に大きな影響を及ぼしました。
1936年から1943年までピカソの恋人だった女性芸術家ドラ・マール。
ピカソ「緑色のマニキュアをつけたドラ・マール」(1936)
今回の展覧会のキービジュアルにもなっているこの作品は、斬新な構図で女性の個性を表現していて、とても魅力的な作品です。
ドラはピカソとの関係の終了後も、この絵を大切に保管していたのだそう。
どんな思いでこの絵を見つめたのでしょう。
ピカソ「花の冠をつけたドラ・マール」(1937)
上の作風とはまた異なったこのドラ・マールもとても素敵です。
ピカソ「横たわる裸婦」(1938)
ピカソの女性裸体像は、1920年代後半から大胆な変形が加えられるようになっていましたが、それがさらに彼自身の女性観や不穏な時代の空気を反映して、ますます多様な形になっていきました。
ピカソ「タンバリンを持つ女」(1939)
ピカソ「多色の帽子を被った女の頭部」(1939)
ピカソ「黄色のセーター」(1939)
第二次世界大戦中の1940年6月、フランスはドイツ軍の侵攻を受けます。
この作品は、疎開先のフランス南西部のロワイヤンで描かれました。
ベルクグリューン美術館の顔とも言われる作品です。
ユダヤ系フランス人の画商のポール・ローザンベールが一旦は購入したのですが、第二次大戦中はフランスを占領していたナチス・ドイツに没収されてしまいます。
それが奇跡的にドイツに運び出される前に持ち出され、後にベルリン国立ベルクグリューン美術館のコレクションの一つに加わったのだとか。
ピカソ「女の肖像」(1940)
1944年8月までの4年間、パリを含む北部がドイツに占領されました。
占領期間中、ピカソは作品の発表を禁じられ、アトリエの出入りまで厳しく監視されます。
それでも国外脱出の勧めを断り、パリに残って黙々と制作を続けたそうです。
ピカソ「大きな横たわる裸婦」(1942)
“私は戦争を絵がなかなった。
しかし戦争の時に描いた作品には、戦争が存在している“
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クレーの宇宙
ベルクグリューン美術館のコレクションのもうひとつの柱、パウル・クレーです。
ベルクグリューンは1936年にドイツを離れるまでクレーの作品を知らなかったのだとか。
初めて接したのは移住先のサンフランシスコの美術館で、それ以来クレーの芸術に深い愛着を持ち続けたといいます。
クレー「黄色い家の上に咲く天の花(選ばれた家)」(1917)
第一次世界大戦中に描かれた作品。
キャンバスは亜麻布という修理に使う素材に描かれています。
クレー「夢の都市」(1921)
クレーは1921年にバウハウスに教授として招かれています。
自身の手で作品のリスト化、材料や題名まで記載しているのだそうです。
クレー「ジンジャー・ブレッドの絵」(1925)
ベルクグリューン美術館には、」第一次世界大戦の末期からクレーの最晩年までを網羅した約70点のクレー作品が遺されています。
その世界で最も質の高いクレー・コレクションの中から、今回34点が展示されています。
クレー「Gの一角」(1927)
クレーの芸術は、「造形原理の考察とロマン主義的な想像力の融合」。
ピカソの作品とは対照的ですが、クレーは同時代の芸術家の中でピカソに最も強い関心を持ち、彼のキュビスム絵画に影響を受けたのだそう。
クレー「封印された女」(1930)
ピカソの主要なテーマである女性像は、クレーの作品においても重要な位置を占めています。
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マティスー安息と活力
ベルクグリューンが「現代フランスの最も偉大な画家」と称賛したマティス。
彼のコレクションの中で、ピカソ、クレーに次ぐ重要性が与えられています。
マティス「チェッカーをする二人の少年たち」(1911)
マティス「横たわる裸婦(ロレット)」(1917)
マティス「青いポートフォリオ」(1945)
マティス「ドラゴン」(1943)
マティスは自らの身体的不自由もあって体力を使わない切り紙へと転換していったそう。
色と形を単純化する切り紙の画風は晩年に向けてさらに進化していきました。
マティス「植物的要素」(1947)
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空間の中の人物像―第二次世界大戦後のピカソ、マティス、ジャコメッティ
第二次世界大戦後の時代に、 20世紀の 匠という評価を確立したピカソとマティス。
そしてこの時代に円熟期を迎えたジャコメッティ。
ジャコメッティ「広場II」(1948−49)
ジャコメッティは彫刻と絵画において、自分の目に見えるままの人間を表すという課題を追求しました。
ジャコメッティ「鶴」(1952)
脆さを抱えながらも空間の中で確かな存在感を持つ人間像を生み出します。
マティス「ロンドン、テート・ギャラリーの展覧会(1953)のためのポスター図案
マティスは最晩年の切り紙絵において、生命感に溢れる女性像の表現に達します。
マティス「縄跳びをする青い裸婦」(1952)
ピカソ「本を読む女」(1953)
ピカソは晩年にはエロスのおおらかな表現をますます自由に追求しました。
ピカソ「闘牛士と裸婦」(1970)
ピカソにとって女性は生きる力。
原色に衰えのないエネルギーが感じられます。
まとめ
上野の国立西洋美術館で開催中の「ピカソとその時代」展、前回の続きです。
ベルリンの国立ベルクグリューン美術館が2025年まで大改修工事中の世界巡回展です。
主役はピカソですが、マティス、クレー、ジャコメッティ、そしてセザンヌと今ここでしか見ることのできない作品ばかりが揃っています。
もう一度行きたいくらいオススメです。お見逃しなく!
「ピカソとその時代展」はこちら:https://picasso-and-his-time.jp