広島城の別名「鯉城(りじょう)」!カープの由来はここにあり!

広島城

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広島城の別名は「鯉城(りじょう)」!広島東洋カープの由来はここにあり!

広島県立美術館から広島城へGO!

特にきっちりした予定を立てていないこの日の広島市散策、

朝8時半にホテルを出発。

偶然通りかかった縮景園で素敵な大名庭園を楽しみ、

庭園から直結している広島県立美術館では思いがけず新旧2つの企画展を見ることができました。

どちらもとても面白い企画展で楽しめたのと、広島県立美術館のアート愛に感動してしまいました。

気がつけばもうお昼、道路の看板にあった「広島城」を目指すことにします。

10月29日土曜日、広島城はスゴイ人!

広島城

県立美術館から歩くこと5分ちょっと、広島城の入り口に到着します。

多くの人が集まっていて、今日はお城の広場で何かのイベントが開催されているようです。

それもそのはず、3年ぶりのフードフェスティバルが開かれているとのこと。

中に入ると人の流れに乗って私もフードフェスティバル会場へと連れていかれました。

ちょうどお昼だし、何か美味しそうなものがあれば食べてもいいし、

この日はとても暑かったのでビールでも飲んじゃおうかな、と思っていたのですが、

しばらく体験したことの無かったあまりの人の多さと、どのブースも長蛇の列なのに気後れしてしまい、

やっぱりお城そのものを目指すことにしました。

会場にはステージもあって、ちょうど安芸ひろしま武将隊という武将軍団のパフォーマンスが。

人が多くて近づけなかったのですが、広島PRのためのグループなんですね。

安芸ひろしま武将隊はこちら:https://www.facebook.com/akihiroshimabushotai/

広島城は復元された風格ある外観がシックな素敵な城!

毛利氏→福島正則→浅野家、広島城主の変遷

広島城

フードフェスティバル会場から人の流れに逆らって本丸を目指します。

見えてきた広島城の姿はとてもシックで風格が感じられます。

現在の天守閣は、昭和33年(1958)に外観を復元して建造されたものだそうです。

広島城

毛利輝元

もともとは毛利輝元が太田川の河口の三角州に築いた城です。

天正17年(1589)に着工、翌翌年に入城しました。

毛利輝元は中国地方の大半を支配していた戦国大名・毛利元就(もとなり)の後を継いだ孫です。

慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで西軍の総大将として参戦し敗戦した毛利輝元は、

戦後、山陰山陽の112万石から防長(周防と長門の国:今の山口県)29万石に減封されてしまいます。

広島城

福島正則

その後輝元に代わって安芸・備後2カ国(現在の広島県)の領主として福島正則が入城。

外堀や外郭の整備を進めて広島城が完成します。

また広島城下を通るように西国街道(山陽道)を南下させたり、出雲・石見街道を整備。

これらの沿道を中心に町人町の大幅な拡充を図りました。

しかし洪水で破損した広島城を許可なく修復したことをとがめられ、

福島正則は安芸・備後の2カ国を没収されてしまいます。

厳しい世の中だったのですね…。

元和5年(1619)のことでした。

広島城

浅野長晟(ながあきら)

代わって和歌山から広島城入りしたのが縮景園を着工した浅野長晟です。

以後、明治2年(1869)の大政奉還までの約250年間、浅野家が12代に渡り広島城主を勤めました。

明治以降の広島城

廃藩置県後は、城内に旧陸軍の施設が設けられ、建造物は次第になくなっていきます。

明治7年(1874)には本丸・三の丸で出火、本丸御殿も焼失します。

残されたのは大天守、中門、裏門、二の丸のみ。

そして場内の建造物は全て、昭和20年(1945)の原爆投下により壊滅しました。

旧天守閣は昭和6年(1931)1月19日に国宝に指定されていたそうです。

そんな経緯をたどって、昭和33年(1958)に外観を復元して建造されたのがこの天守閣なのです。

広島城

二の丸は平成6年(1994)年に復元実現!

天守閣は昭和33年に復元されましたが、二の丸については橋や園路の補修以外は行われていませんでした。

それが平成元年(1989)、広島城築城400年、広島市市政100周年の記念事業の一環として、二の丸の建物も復元されることに。

二の丸の復元建物は、古い写真や資料を参考に、昔ながらの工法を用いて江戸時代の姿を忠実に木造復元したのだそうです。

広島城

広島城はこちら:https://www.rijo-castle.jp

広島東洋カープの名前は広島城の別名・鯉城(りじょう)から

広島城は別名を「鯉城(りじょう)」と呼ばれています。

この付近一帯が「己斐浦(こいのうら)」にあたり、己斐の音が鯉に通じることからそう呼ばれるようになったとか。

広島東洋カープの命名の元はこの鯉城からなのだそうです。

広島が鯉の産地なのかと勝手に思っていました。

一方、広島という地名の由来は諸説あって、はっきりわかっていないそうです。

通りかかったお好み焼き屋さんに寄ってみました

広島城

広島城で開催中のフードフェスティバルではあまりの人の多さに、フードにもビールにもたどり着くことができないまま、次の目的地・ひろしま美術館を目指すことにしました。

その途中、偶然お好み焼き屋さんを発見!せっかく広島にいるのだから、とすかさず入ってみました。

この日は本当にお天気が良く気温も高く、ビールの美味しかったこと!

そして久しぶりの広島焼きも美味しかったです。

まとめ

広島城

広島県立美術館から徒歩5分ちょっとで行ける広島城は、

この日3年ぶりのフードフェスティバルが開かれていてたくさんの人で賑わっていました。

城下町はこうして人が集まるから賑わいがあっていいですね!

お城もシックな外観、そして変遷した城主の物語や、

広島東洋カープの鯉の謎も解けて、

とても興味深いお城めぐりでした。

御城印もいただきました。

 

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