日本全県制覇2周目 3&4県目は福岡と山口の旅(2016年2月)

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日本全県制覇2周目 3&4県目は福岡と山口の旅

福岡出張の帰り、門司港で途中下車

日本全県制覇2周目の1県目は、娘と「茨城」の旅でした。

2県目は神戸から「京都」日帰りしているのですが、写真が全く見つからず💦

記憶も全くないという💦

しかしGoogleマップってすごいですね。というか、ちょっと怖い。

京都で検索したら確かに2016年の1月に京都に行っています。

「5年前」の自分のアリバイが明らかに。

このルートを見ても、お店の名前にピンと来ないし、何のお店だったのかも思い出せません。

一体何しに行ったのか。

というわけで、3&4県目に進みます。

2016年2月5日は福岡出張でした

午前中の会議だったので、前日4日に福岡入りしています。

夜着いて、おひとり様もつ鍋のあるお店を探して堪能しました。

ゴマ鯖も大好きです。

その後ホテルに荷物を置いて夜のウォーキング。

ついでに中洲で1杯。

翌日の朝、博多の駅で同じ会議に出る人と待ち合わせ、博多の隣の駅「吉塚」へ。

会議はお昼前に終わり、再び博多に戻って解散。

この日の午後は半休にして、博多から門司港駅で途中下車。

門司港(福岡県)から下関(山口県)に歩いて行けるというので行ってみることにしました。

門司港はレトロな港町

かつて外国貿易で栄えた門司港には、明治から昭和初期にかけて建築された、趣のある建物が今でも残っています

神戸、横浜と並んで日本の3大港だった時代もあったそうです。

JRの門司港駅もレトロ。

この水道 (水)は、駅が開設 (大正3=1914年) された頃に設置されたもので、以来、旅行者に門司の 「おいしい水」を供給し続けています。 とくに、 戦前の海外旅行帰国者をはじめ終戦後の や引の人達が、門司に上陸して安堵の思いで喉を潤し たところから、(言うとなく)「帰り水」と呼ばれるになりました。

幸運の 手水鉢

大正3年の建設当時からあり、 戦時中の貴金属 時の形のまま、戦時中の貴金属供出からもまぬがれ現在も鋳造時の形のまま、長寿を誇っております。

高い近代的なビルとレトロの共存。

高いビルは門司港レトロハイマートという集合住宅。

最上階は展望室になっている、ということを今知りました。

門司港地ビール工房。

あの橋の下の海底にトンネルがあって、山口県側に渡れます。

ノーフォーク広場の大きないかりのモニュメント。

北九州市と姉妹都市の米国バージニア州ノーフォーク市にちなんで名前がつけられたそうです。

関門トンネル人道で山口県に渡る

橋の先に関門トンネル人道入り口がありました。

エレベーターで地下におります。

するとなんとこんな感じ。

自転車も通れます。

全長3,461.4m、昭和33年3月9日に開通。所要時間は約15分。

https://shimonoseki.travel/spot/detail.php?uid=199

 

なんかワクワクします。

進んでいくと

おー!県境が!

1人で感激して自撮りしたのですが、なかなか地面の文字まで入らず苦戦していると…。

通りかかったおじさんが「撮ってあげますよ」と声をかけてくれました。

文字を入れてほしいとリクエストした写真がこちら笑

その時のFacebookの投稿です。

その時のFacebook投稿

博多から神戸への帰り道、関門海峡は歩いて渡ることに。「関門海峡人道トンネル」です。

福岡と山口の県境で写真を撮っていたら、「撮ってあげますよ」と通りがかりのおじいさんのお言葉に甘えました。スマホ初接触ながら、文字が入るように、のリクエストに忠実に応えてくださった1枚。カメラの角度に合わせてかがんだつもりだったんだけど(笑) 思い出になります(*^^*)

ほんと、いい思い出。

トンネルの説明図も。

おー、こんな作りになっているとは。上を車が通っているのですね。

 

山口県側は壇ノ浦

そしてこちらが山口県側です。

大きな大砲が並んでいます。

壇ノ浦だけに源平合戦の銅像も。

日本史の節目を刻む関門海峡。西へ東へと一日に四回、その流れの向きをかえる関門海峡。せまい所では、両岸の幅は七〇〇メートルあまりで、潮流の速度は、最 高で約一〇ノット(時速一八キロ)にもなります。また、瀬戸内海の入口に位置する地理 的条件から、昔も今も交通の要衝で、日本の歴史の節目を刻む舞台となっています。寿永四年(一一八五)三月二四日、平知盛を大将にした平家と、源義経ひきいる源氏がこの壇之浦を舞台に合戦をしました。当初は平家が優勢でしたが、潮の流れが西向きに変わり始めると源氏が勢いを盛り返し、平家は追い詰められました。最期を覚悟した知盛が、その旨を一門に伝えると、二位の尼は当時数え八歳の安徳天皇を抱いて入水。知盛も後を追って海峡に身を投じ、平家一門は滅亡。日本の政治は貴族から幕府による武家政治へと移行していきました。なお、この戦いにおいて義経は平教経の攻撃を船から船へと飛び移ってかわし、いわゆる「八艘飛び」を見せたといわれています。

JR下関駅まではバスに乗りました

ここから下関まで少し距離があるので、バスに乗りました。

下関からJRで小倉に出て、小倉から新幹線で新神戸に戻ります。

旅というよりは遠足のような短い行程でしたが、記憶に残るいい旅でした。

さて、日本全県制覇2周目の5県目は、1週目の最後から2番目に行って大好きになった長崎です。

 

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