日本全県巡りの旅・2周目!45県めは広島の旅!
3月の愛媛の旅以来、久々更新!広島へ
8月5日に予定されていた新潟まつり・民謡流しの準備に奔走し、
そしてそれが1週間前に中止になるという精神的痛手?で…
なかなかBlogに戻ってこれずにいた空白の4ヶ月を後追い記録しています。
まずは記憶の新しいところから、と記録したのは先週の富山・上越の旅でした。
その旅のスタートはこちら:富山県朝日町・タラ汁街道で念願のタラ汁を
今回は10月28日から2泊3日の広島旅を振り返ります。
この広島旅は久々の日本全県巡り2周目の45県め更新の旅になります。
その前、44県目は3月の愛媛の旅でした。あの旅も楽しかったなぁ。
その旅のスタートはこちら:日本全県めぐり2周目の旅!44県めは愛媛へ
試験会場で広島を選択!
この4ヶ月、民謡流し中止の鬱憤晴らしのように試験勉強に優先順位を置いていたのですが、
この秋受けた3つの試験の内の一つが観光英検でした。
この試験の会場が新潟になかったので、だったら観光も兼ねて、日本全県めぐり2周目も更新できる広島で受けようとしたのです。
東京の会場という手もあるのですが、東京だと広すぎて会場によっては宿泊先である娘のところからとても不便な会場に当たってしまう可能性もあります。
その点、地方都市の会場はその都市の中心部にある会場になるのでとても便利。
新潟から広島には直行便はないので、神戸に出て新幹線か、福岡に出て新幹線ということになります。
調べたら福岡利用の方がチケットが安かったので福岡経由で広島入りすることにしました。
初日はお昼の便で新潟空港から福岡を目指し、
福岡空港から博多に出て、博多から新幹線で広島入りしました。
この日は知人夫妻と夕食へ。
地元の美味しい焼肉屋さんでご馳走になり、駅に近いホテルに宿泊。
今回は2日後の日曜日の試験会場に近いホテルに2泊しました。
清潔感のある綺麗なホテルでした。
今回泊まったホテルはこちら:https://koko-hotels.com/hiroshima_ekimae
広島市内を歩き回るのは初めてかも!
広島には今まで確か3回来ているので、これが4回目です。
その3回全てが車での訪問だったと記憶しているので、市内を歩くのは今回は初めて。
ということで、中日の土曜日は市内をあちこち巡ってみることにしました。
やはり県庁所在地に来たら県立美術館は外せません。
県立美術館→広島城→平和公園という大雑把な予定を立てて、朝8時半、ホテルを出発しました。
まず目指すは県立美術館、ホテルからは15分ちょっとで行けそうです。
ホテルから川を渡り、美術館を目指して歩いていると素敵な門構えの庭園の前を通りかかりました。
県立美術館に隣接する「縮景園」という大名庭園で、このお庭から県立美術館にも続いていて、
美術館の特別展とセットのチケットがあるということなので入ってみることにしました。
広島に色づく江戸文化の香り!名勝・縮景園(しゅっけいえん)!
浅野長政の次男・浅野長晟(ながあきら)の大名庭園
ここ縮景園は広島浅野藩初代藩主・浅野長晟(あさの ながあきら)が1620年に築成に着手した庭です。
中国地方の大名と言えば思い出すのは毛利氏ですが、
1600年の関ヶ原の戦いで西軍の総大将として参戦し敗戦した毛利輝元は、
戦後、山陰山陽の112万石から防長(周防と長門の国:今の山口県)29万石に減封されてしまいます。
関ヶ原後は尾張の国から福島正則が入り、城下町の建設や国内産業の発展に尽力し、広島藩の藩政が確立しました。
しかし福島正則は大阪の陣後の1619年、洪水で損壊した広島城を無断改修したことが「武家諸法度違反」に問われ大幅減封、川中島藩に転封されてしまいます。
そこで紀州藩から入封したのが浅野長政の次男でこの縮景園の主人・浅野長晟(ながあきら)でした。
江戸時代の大名は、国元の居城やその近く、または江戸屋敷に広大な庭園を作り、茶室などを立てる風潮がありました。
大名庭園は全国に残されていて、新潟だと新発田の清水園、金沢だと兼六園、熊本の水前寺公園、香川の栗林公園など私も行ったことがあります。
この縮景園はその大名庭園の先駆けでした。
この庭の作庭者には、浅野家の家老であり、また千利休の流れをくむ上田主水正重安(上田宗箇そうこ)という茶人が起用されたそうです。
築庭400年を迎えた名勝!
2020年には1620年に築庭されてから400年を迎えました。
清風館
表門から入園し、まっすぐ行ったところに清風館があります。
庭園のほぼ中央に位置するこの建物は、屋根はこけら葺きの数寄屋風書院造りになっています。
日清戦争で大本営が東京から広島に移された時は明治天皇の居所となったそうです。
跨虹橋(ここうきょう)
池の中央にかかる縮景園を象徴する名橋です。
天明の頃(1783-1788)7代藩主・浅野重晟が京都の庭師・清水七郎右衛門に造らせたそうです。
橋が大きく反っていて、地上と天上を結ぶ虹に例えてこの名前が付いたとか。
原爆の爆風にも壊れなかったと知り、なんだか愛おしい気持ちになりました。
水に映る姿もとても美しい橋です。
この庭園は歩いていてとても気持ちのいいお庭でした。
有年場
藩主が田植えをしたという有年場。
稲刈りを終えたハザ掛け米がかけてあります。
大銀杏
原爆を経験した被曝樹木です。
看花榻(かんかとう)
原この場所で藩主が対岸の東照宮に続く桃林の花や京橋川を行き交う船を眺めたとか。
元は座席がロクロ式に作られていて回転するようになっていたそうです。
迎暉峰(げいきほう)
園内で一番高いところからの眺めです。
昔はここから広島城、広島湾、はるか宮島まで望めたそう。
天守閣のような役目を持っていたとのこと。
香菜圃(こうさいほ)
こちらはお茶畑です。
毎年八十八夜前後に茶摘みが行われているそうです。
悠々亭
茅葺のあずまやで、昔は歌会や納涼茶会などで使用されていたそうです。
こちらが悠々亭からの景色。
白龍泉(はくりゅうせん)
滝とその流れがあたかも白い竜が伏せているかのようでこの名前がついています。
3段の滝に注いでいます。
明月亭
数寄屋造りの月を鑑賞するための場所。
窓枠は牛車の車輪も用いたデザインで、中に茶室があります。
梅林
園内には桜、紅葉、フジ、石楠花など20種類近くの花が咲き、四季を通じて美しい景色が楽しめます。
花のカレンダーはこちら:https://shukkeien.jp/season/
この梅林前の道は調馬場になっています。
この先に県立美術館への入り口があります。
まとめ
日本全県めぐり2周目の旅、45件目は広島です。
広島県立美術館への途中で思いがけず見つけた大名庭園・縮景園。
とても綺麗で素敵なお庭で、想像以上に楽しめました。
園の行事としてほぼ毎月、お茶会も開催されているそうです。
駅からも近く、美術館にも直結しているのでぜひまた訪れたい場所です。
さてあと残り2県は和歌山と岐阜!
いつ行けるかな。